GIFT (3)


「了解っす。んじゃ、行きましょうか」
目の前でくるりと身を翻し、集落の入り口へと繋がる坂道に向かい歩き出したロイの背中を当たり前のように追おうとしたハボックの行く手を、今の今ま
で数歩離れたところでハボック達を見守っていた山岳部将校が遮った。
「申し訳ないがハボック少尉、ここから先は軍の許可が下りていない者を通すわけにはいかないのだよ」
「えっ、でも俺は大佐の護衛を…大佐!」
「マスタング大佐の身は君に代わって私がお護りする。君はここで私達が戻るまで待っていたまえ」
酷薄な印象を強く与えるダークブラウンの瞳がハボックを威嚇する。軍への忠誠を誓った手は予想以上に強く、ハボックの大柄な身体を押し戻した。

「そういう事だ、ハボック。おまえはここで暫し『待て』だ」
戸惑うハボックを他所にスタスタと進める足を止めることなく、ロイは上げた右手をヒラヒラと振りながら、勤勉な将校の後押しをする。
ロイの表情を見なくとも、その口ぶりで彼が楽しんでいることは丸判りだった。

―――ちっ、そういう事かよ。

ほんの僅かな間だけでも、喜んだ自分が馬鹿だったということだ。ロイは最初からこうなることを知っていたからこそ、敢えてホークアイを護衛に選ばず
自分にその役割を振ったのだ。
(そうに決まってる…)
そもそも階級も自分より上で、ロイとの付き合いの長さも違うホークアイと職務上で張り合おうという方が間違っているのだが、それを弁えていながらな
お、全てにおいてロイの一番でありたいと願わずにはいられない、真っ直ぐすぎる自分の純情と欲望をこういう形で弄ばれるなんて不意打ちもいいところ
だと思う。
なけなしの自尊心にキリリと鋭い爪が食い込む。それでも上司命令には従わなければならないと、ハボックは自らに言い聞かせる為に大きく息を呑み、
下唇を噛んだ。
「了解しました。ジャン・ハボック少尉、これより待機態勢に入ります」
いつも以上に神経を張り詰めながら敬礼をし、初見の将校を引き連れて遠ざかっていくロイの伸びた背中を、ハボックは青い目を細めて暫しの間見送っ
た。


木の枝と粘土で申し訳程度に舗装された細い坂を上ってすぐに目に付いたものは、薄桃色の可憐な花を枝いっぱいに結んだアーモンドの若木だった。
「これもなかなか見事なものだ」
勿論、このアーモンドの木も自生のものではない。この地に閉じ込められた十二名の錬金術師のうちの誰かが慰みに苗木を植え育んだのだろう。
小さな集落は二年前に訪れた時と変わらず静まり返り、その異様なほどの静寂を時折破るものは風の音と鳥の囀りくらいのものだった。
人工的に設けられた水場を源にして流れる小川、そしてそのささやかな清流の恵みで生まれた作物畑には、収穫期を迎え掘り起こされた小さなじゃがい
もが二・三個置き去りにされて、空を舞う鳥達の餌になっていた。
「今日も皆、家屋の中に引きこもっているのかね?」
「はい。彼らは農作業を午前中に済ませ、午後からは自分達の研究に没頭する……その日々の繰り返しです」
「なるほど。ある意味、錬金術師にとってここは天国だとも言えるのだな」
地獄を見たイシュヴァールを経て、彼らが最後にたどり着いたこの地は、緑豊かで光に満たされた安穏という名の牢獄だった。錬金術の研究を禁じられ
るわけでも無く、それどころか必要なものがあれば殆どのものを軍が手配し支給してくれる。
彼らが死ぬまでそれは変わることなく続き、彼らが手にした研究結果も、国が有意義であると認めれば世に出ることも出来る。
―――黙殺されるのは偉大な研究成果にたどり着いた錬金術師だけだった。
銀時計を失った者は生きた証まで失って、二度と下界に下りることは適わない。今はこの集落を監視する側に立つロイだったが、イシュヴァールを焼く業
火を潜り抜けた先で見つけた道が、もし違う場所に続く道であったならば、自分もこの集落に囚われたまま長い余生を過ごすことになったかもしれないの
だ。
改めてそう考えると、胸の奥がちりちりと焼け付きそうだった。
どう見積もっても自分には耐えられそうも無い、この静かな絶望が体積した村での暮らしを、あの美しい人は甘んじて受け入れている―――しかし。

「ユージェニー・バルトの世話は一体誰が?」
伸びすぎて絡まりあうエンドウのつるをほぐしながら、ロイは淡い色に染まったアーモンドの枝と枝の隙間から覗く赤い屋根の家をちらりと流し見た。
「食事は日に二度、隣に住むミラン・エリアーデが用意して運んでいるのですが、それ以外の世話になることを彼女は断っているようですよ」
「そうだろうな。彼女はこの村唯一の医療系錬金術師だ。他の者の世話になるくらいなら、末期の状態になる前に彼女自身がなんらかの術を自らの病巣
に施していたことだろう」
この6年の長きに渡る隠者の生活から、彼女は解放されたがっていた。
軍が派遣した医師の報告によると、ユージェニー・バルトの肉体は、重度の水銀中毒に侵されているということだった。
軍の介入によって性急に作られた歪な集落ではあったが、元々あった自然を破壊し尽くし、土壌を汚染するような無茶な開拓は行ってはいない。
そして自然科学の知識が豊富な術師が多いこともあり、彼らの日々の糧はほぼ自給自足で補えていたということだったが、それにもかかわらず彼女の
身体の中には基準値をはるかに上回る量の水銀が蓄積され、既にその毒素によって重度の腎臓障害を併発するまでに病は進行していた。
「率直に聞くが、君。ユージェニー・バルトの病の原因はどこにあると思うかね?」
「彼女の病の原因…ですか?」
ロイが気まぐれに解いたエンドウのつるを、ところどころ間引いていた将校の指が止まる。
濃い茶色の瞳は瞬きひとつもすることなく、ロイの深い闇の色の瞳をぴたりと捕らえた。
「そうだ。君はどう思う?」
同じ質問を繰り返すと同時に、ロイは自分を見据えている将校の極端に表情の乏しい顔をつぶさに観察した。
軟な見た目はどうあれ、イシュヴァールの英雄と呼ばれた希代の殺戮兵器として名高い自分の視線を真正面から受け止めることが出来る彼が持つ、軍
人としての度量は及第点以上なのだろうが、驚くほど長く見開かれたままでいる瞳がそう見せるのか、見返してくる視線の中に不快なものが付き纏うの
をロイは拭えないでいた。
特に、黄金の毛の軍用犬をレッドウッドの木陰に残して来てからというもの、その不快感は募っていくばかりだった。
「緩慢な自殺行為の結果かと思われます」
「君もそう思うのか」
「イエス・サー」
ひとり取り残された軍用犬が、自分の背中を恨めしげに睨み付けていたことにロイは気付いていた。
ハボックの視線はこれも違った意味で不思議なことだったが、それを受けるロイの内側に彼の声に代って饒舌に語りかけてくる。
言葉よりも熱く真摯に追いかけてくる彼の視線は、いつでもロイの行動を肯定し、後押しさえしてくれた。
だが、この村に入る権利を持たないハボックの代わりとして、背後に控えるこの男の視線からは当たり前のように、自分を逐一監視し、記録してやろうと
いう意志だけしか伝わってはこなかった。

―――視線と言えば……。

二年前。
まだ元気だったユージェニーに招かれてこの村を訪ねたときにも、漠然とではあったが『見張られている』という感覚をたびたび抱いたことがあった。
だが、数時間の短い滞在中に自分を鋭くねめつける視線の持ち主を割り出すことはかなわず、結局はそのままになってしまっている。
「ああ、それから。もうひとつ聞きたいことがあるんだが」
そしてその不可解な視線の他に、ユージェニー自らがロイに語った謎も未解決のままだった。
「なんでしょう?」
漸く瞬きをひとつして、男は再び姿勢を正す。
「ユージェニーはこの村で、生涯の伴侶を見つけることは出来たのだろうか?」
「それは絶対にありませんよ。大佐もご存知の通り、ここで生活する者たち同士の婚姻は禁止されていますし、現に彼女の周囲にそれらしい動きは皆無
でしたから」
元国家錬金術師たちに下された軍からの命令は、一般市民との交わりを絶つということだけでは無かった。
家庭を持っていた者たちは家族とも引き離され、再び会うことは許されなかった。
そしてそれと同じく、新しい家庭をこの集落の中で持つことも固く禁じられていた。
それなのに―――。

『ロイ、聞いて。私本当はね…結婚してるのよ。そしてその人と一緒に暮らしているの』
軍の監視下に置かれ、人の世から隔離された日々を過ごしているにも関わらず、彼女は神々しいまでに穏やかな微笑を零しながらそう言った。
今になって思えば、繰り返される孤独な生活の中で、寂しさゆえにユージェニーが生み出した妄想の伴侶だったかもしれないが、そう言い切ってしまうに
はあまりにも彼女の笑顔は幸せそうだった。

「判った。それでは手遅れにならないうちに、彼女の元へ馳せ参じよう」
その笑顔の裏でユージェニーが何を想い、そしてどのような生活を送っていたのか。
最期にそれを明かすつもりで、彼女は自分を再度この村に招いたに違いないのだから。


(2006.04.27 つづく)


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