椿  姫(2)


おいおい、ここはあんな子供まで商品にしてるのかよ?」

俄かに押し黙り、繊細な意匠を施された円柱を凝視するロイの横に立つヒューズの眉間に嫌悪の深い皺が寄せられた。
芽吹いたばかりの華奢な肢体を隠すには充分な大きさの柱の陰。
そこから白く小作りな顔を覗かせている少女は見たところ、まだ12,3歳と言ったところだろうか。
このような場所に引き取られただけあって、後の美貌を約束された整った面立ちながら、その頬にはまだまだ子供じみた丸みを残していた。

「いや、あれはまだ雛妓だ。部屋持ちじゃない」

客にお茶を出したり、年嵩の娼婦達の身の回りの世話などをしながら、教養と美しい身のこなしを身につけていく段階の少女は、
ゆっくりと熟するのを待たれている途上にあるのだろう。
年端も行かないうちに男達に酷い目に遭った身のうえならば、厳めしい軍人たちがあちらこちらに睨みを効かしているこの場所に、
好奇心に引き摺られるままに乗り込んでくる筈がない。

「高級娼館と名のつく限り、未発達な子供を無下に扱うことは出来んだろう」
「軍に疎まれるほどの老獪な女主人だからこそ、そこらの売春宿とは格が違うってぇプライドも並々ならんぐらいあるのかも知れんな」

見咎められて動くに動けなくなった少女は、それでも円らな黒い瞳を伏せることもせずに、小声で話し合うロイとヒューズを見つめ続けている。

「なぁ、ロイ。このまま行くとこの娼館は閉鎖されちまう運命だ。あの子‥どうなっちまうんだろうな」

見事な珠に育つその日まで、ひっそりとこの館の中に隠されるはずだった少女。
だが軍の上層部に不興を買い、強制捜査に踏み込まれたこの館にはもう明日は来ないのだ。
彼女だけでなく、この国で強大な力を持つ軍の機密を知ってしまった娼婦たちも、完全に後ろ盾を失った状態だ。
ここが失われてしまえば彼女たちは―――

「おい、ロイ?」

少女が身を潜めている柱の方へゆっくりと歩き出したロイは、呼び止めるヒューズの声を振り返ることなく背中で受け止めた。
無言で近寄ってくる若い軍人に怯える少女は、恐怖に青褪めた表情を隠そうともしない。

「大丈夫だよ。私は小さな淑女に手荒な真似はしない」

ロイの柔らかな微笑みを目にしても、緊張の糸を解くことの出来ない少女は、半身を隠した柱の陰から動こうとはしなかった。

「私たちが用があるのはここのマダムだけなんだ。君は部屋に戻りなさい」
「‥‥主人は現在不在です。この時間はいつも出払っておりますの」

か細く幼い声だった。
それでも教えられた通りに大人びた口調で女主人の不在を告げる少女にロイは笑みを深くして、彼女の小さな白い手を取って軽くその甲にくちづけた。

「ありがとう。それでは私たちは暫くここでマダムの帰りを待たせてもらうよ」

あっさりと解放された手を振り解く無作法をすることなく、漸くロイに僅かな笑顔を向ける余裕が出来た少女は、
軽くドレスを摘まみちょこんと膝を折る会釈をした後に、優雅な足取りで大階段を上って行った。


「さすがマスタング中佐だ。小さくても女はおまえさんみたいな面構えの野郎には弱いんだな」
「マダム・リプリィはどうやら不在らしい。少しの間ここで待たせてもらおうじゃないか」

心底感心したというようなヒューズの顔を一瞥して、ロイは小さな淑女から伝えられた女主人の不在をヒューズに告げた。

「ここでの情報は『人民闘争組織』に流れてるんだったな‥あっちの潜伏先は?」
「大体あたりはついている。だが機密漏洩の原因が原因だけに、お偉方も事を荒げたくないんだろう。マダム・リプリィを締め上げたあとに、
組織の方は徐々に燻し出しいくつもりなんだろう」

淡々と語るロイの言葉を聞きながら、火を点けたばかりの煙草を咥えた唇をへの字に曲げて、ヒューズはやれやれと肩を竦めた。

「どうせ彼女の身柄は既に拘束されたも同然だ。理由はどうあれ軍人相手に羽振り良く娼館を切り盛りしていた女を匿えば
『人民闘争組織』は瞬く間に内部分裂を始めるだろう」
「ああー、いい女のひとりやふたり顔を覗かせてくれたら暇つぶしでも出来るのにな」

奥の部屋に走り去っていった初老の女が先ほどまで座っていた椅子を行儀悪く足で引き寄せて、ヒューズはどっかりとそこに腰を下ろした。

「暇つぶしが必要なのか、ヒューズ?」

仰ぎ見る自分を見下ろすロイの黒耀の瞳が濡れているのを認めて、ヒューズは苦い笑みを零した。
彼が拾い上げたものは、娼館のエントランスに陣取った憲兵たちの中に紛れようもない、ロイ自身しか持ち得ない匂い立つ情の煌きだった。

「おまえな‥今は仕事中なんだぜ?判ってるのかよ」
「だけど暇なんだろう?時間は有効に使ってこそ価値があるんじゃないのか?」

確実に伝播した欲情に、脳髄を掻き回されて。
求めてくるロイの熱い吐息を無視できるほどの老熟を、ヒューズはまだその身に備えてはいなかった。



(2004.04.05続く)

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