椿  姫 (1)


「全く…自分たちの落ち度を女たちに尻拭いさせるとは」

苦々しく呟いたロイ・マスタング中佐の軍服のポケットの中で、彼が歩く度に薄い皺を刻み込んでいるのは
今朝発行されたばかりの一枚の捜査令状だった。
軍部が警察機構に深く介入しているこの国の「正義」は、翻る青い軍服によって守られている。

「とは言え、マダム・リプリィの商売のやり方も充分にえげつなかったけどな」
「それでもだ。鼻の下を伸ばしながら機密を女たちに漏らす迂闊な奴等の方が、軍にとって有害ではないのか?」
「おおっと、ロイ。それ以上は言うなよ?いくらフェミニストで有名なおまえさんでも、こっから先の発言は不敬罪に発展しかねねぇからな」

華奢なフレームが支えるレンズの奥で、言葉よりも雄弁に諌める視線がロイを軽く睨み付ける。
国家錬金術師という特殊な立場を差し引いたとしても、順風満帆な出世街道に乗った男にしては危なっかしい発言を繰り返すロイに、
軌道修正の道を指し示す役目を負ってしまったのは、太くよりあわされた腐れ縁に繋がれたマース・ヒューズ少佐だった。

「なんにしても、気の進まない仕事だ」
「そう言いなさんな。仕事のついでに目の保養が出来るって思えば、少しは気が晴れるんじゃねーか?」

東部の内乱が鎮火して、既に一年の時が経過していた。
事実上の終結宣言に、戦いにささくれ立っていた従軍兵たちは誰も彼もが安堵と歓喜の声をあげたものだ。
だが和平を歓迎する喜びの中で、それに反する荒らぶる熱が、日を重ねる毎に重く蓄積していくことに気づく人々も少なくはなかった。
長きにおよんだ内乱は、それを引き摺る人々の間では未だに終わってなどいなかった。
見えない戦火に囚われたまま、精神のバランスを崩していく帰還兵の問題が徐々に社会現象となりつつある現在、
すぐに体内に篭もってしまう何かを女を抱くことで発散しようとする者は、それこそ数限りなかった。

「国軍と革命分子、そのふたつを手玉に取ろうなんてなぁ。そんな欲持ってどうすんだ?高級娼館の女将で充分じゃねぇか」

この国の法律の中にも勿論、売春防止法というものは存在する。
だが「癒し」という都合の良い言葉に包み込まれた肉体の売買を、よっぽどの場合でない限り、国は目を瞑ってやり過ごすことにしていたのだ。
今回の捜査対象になったマダム・リプリィが経営する「椿園」は、軍の高官たちが密かに通っていることで有名な高級娼館だった。
飾り窓から覗く美貌だけに頼る売春宿とは異なり、白亜の壁の中にまず「買う」側が足を運ぶことを要求される高級娼館は、
相応の金と、それを支払う人物の地位に見合う、磨き抜かれた器量と教養を誇る女たちを抱えていた。

「自分の立場を忘れて、気に入りの女になんでもかんでも喋ってしまう輩も同罪だ」
「ま、それもそうだけどよ。しかし高級娼婦ってのは口が固いってのが鉄則だったはずなんじゃねぇの?」

柔らかな肌を貪る快楽に満足したあとの男にありがちな間違い。
それは先ほどまで甘い声を漏らしていた女のことを、自分だけのものだと錯覚してしまうことだった。
施された愛撫に従順に蕩けて応える肉体に騙されて、自分が担う機密を寝物語として漏洩してしまう軍のお偉い方はかなりの数にのぼっていたらしい。

「歴史は女で作られる‥それを忘れる馬鹿が多すぎるのだ」
「いい女に骨抜きにされたあとじゃ、気が緩んじまうんだろうよ。おまえさんもせいぜい気をつけるんだな」


一見しただけではそこが娼館だなどと誰も思わないであろう瀟洒な建物の中に、マスタング中佐率いる
ものものしい様相の憲兵の一団が踏み込んだのは正午を少しまわった頃だった。
足の甲まで埋まってしまうほどの毛足の長い絨毯が黒い軍靴に踏み荒されていく。
火の落とされたマントルピースの前にある豪華な応接セットには、時間的なものか客の姿はひとりも見当たらなかった。

「娼館『椿園』に捜査令状が発行された。捜査に協力願いたいのだが、こちらの代表者は在中されているだろうか?」

数冊の帳簿が置かれた小さな執務机の前でうつらうつらしていた初老の女は、端正な口元に薄く笑みを湛えた青年佐官の通る声によって、
まどろみの中から瞬く間にひきずりだされた。
花園を踏み荒らす招かれざる客たちを目の当たりにした彼女は、座っていた椅子を蹴倒しながら奥の部屋へと小走りに駆けていく。

「女性を怯えさせるのはどうも性に合わないな」

青褪めながら転がるように走り去った女の前で浮かべていた笑みは、今は完全にロイの顔から払拭されていた。
未だに幼さの残る顔に憮然とした表情を張り付かせ、背筋を伸ばしたまま奥の間に続く扉を見つめ続けるロイに向けて、
ヒューズは軽く片目を瞑って囁いた。

「今のおばちゃんは兎も角、最後に洞穴から這い出してくるのは蛇みてぇな女だ、安心しろ。」
「それでは自分たちが犯した失態を棚に上げて、嫌な役目を私のような若造に押し付ける軍のお偉い方は、さしずめ狐か狸と言ったところかな」

不機嫌を隠そうともしない声でヒューズに毒づくロイだったが。
その視界の端に何かを捕らえたのか、まだ誰も現われる気配のない奥の間の扉から素早く視線を外し、微かに首を巡らせた。

「ん、どうした?」
「あれは‥子供か?」

ヒューズに問い掛けるというよりも、自分に言い聞かせるように呟いたロイは、緋毛氈が敷かれた階段の傍に建つ大きな白い柱の後ろで踊る
ピンクのドレスに目を留めた。



(2004.03.27続く) 

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