Knockin' on heaven's door−3 (2)
(ヒューズ39歳、ロイ39歳のパラレル連作です)


それから暫くは、執務室に持ち込んだ調書と照らし合わせつつ、今回の不祥事の大元となったアストレイ准将官邸の私用回線を盗聴録音した
証拠テープの提出と、それらから割り出した供給ルートの追跡報告書の要点部分の説明などにヒューズは時間を割いていたのだが。

「なあ、ロイ。おまえさん、なんでさっきからそうやって明後日の方向ばっか向いてんの?」

その報告の間さえ、自分と目線を合わそうとしない挙動不審なロイの態度に、ヒューズの忍耐を繋ぎとめていた最後の綱がついに切れる時がきた。
もうこれは、正攻法で向かうしか術はない。

「何があったか知らねぇけど、お仕事の時くらい真面目に対処してもらわねぇと、こっちの志気にも支障をきたすんだわ」

手にしたペンの先端で机をコツコツと叩く仕草。
それは気が立っていることを相手に知らしめる為の、ヒューズの癖のひとつだった。

「おい、聞いてるのかよ?」
「大丈夫だ。ちゃんと聞こえている。おまえの一言一句、聞き漏らしてはいない」

それでも振り返る素振りを見せない、片意地な背中。
タイムリミットは刻一刻と近づきつつあった。
一度会話が途切れてしまえば、あとは神経質に机を叩く音が広い執務室に響くのみだ。

「そう言えば、俺の顔を見るなりハボックの奴【大総統になんとか意見してやってくれ】って、情けない声で訴えてきたんだが、
今のおまえさんの態度はその事に関係してんのか?」

はじけ飛ぶ時間を引き伸ばすかのようにそう問い詰めても、満足な返事が得られるどころか、言い訳のひとつも帰ってこない。
こと仕事に関しては、不真面目に見えてもちゃんと要所は押えているような奴だから、まず問題はないだろう。
けれど今のロイの一挙一動が、それを見守る部下達の士気を乱しているのであれば、当然それを見逃すことは出来なかった。
互いに自分達の【私】の部分を、国に捧げることを決めた身だ。
遊びの時間があってもいいと、笑って許す友人としての大らかさも、既に手放して久しい。
けれどロイだけが大事だった、ほんの短い春を完全に忘れてしまえるほど、自分は大人になりきれてはいない。
本当に自分達は、ここまで上り詰めて来たにも関わらず、いまだに駄目な大人の見本そのものでしかなかった。


「それとも俺に対して何かやましいことがあるから、顔を合わすことができねぇのか、ああ?」
「そんな訳ないだろう。私は誰に対してもやましいことなんてしていないぞ!」
「んじゃ、なんでさっきからこっち見ようとしねぇんだ!」

やましい思いが無いというのなら、何かよからぬことを企んでいるのだろう。そしてこいつはそれを暴かれるのを待っている。
いつもいつも、そうだった。

「大総統が聞いて呆れるな。いつまでも子供みたいな真似しやがって」

逃げる隙を与えないように、すばやく手を伸ばす。
思わず浮いた腰を再び椅子に押し付けるようにして、ロイの肩にヒューズは手をかけた。
今でも生々しく記憶に残っている、肩の薄さ。
一番最初にそれに触れたのは、士官学校でロイと同室になった二年の秋だった。




噂に聞いていた本の虫は、確かに皆の口から伝え聞いた通りで、暇さえあれば人を殴り殺せそうな厚さの本を静かに紐解いていた。
消灯時間が過ぎても、文字通り懐に忍ばせた懐中電灯で書物を照らし、健気に文字を追う優秀な問題児に。

【いい加減にしとけよ。明日は行軍訓練があるんだぜ?ちゃんと睡眠取っとかねーと身体が持たねぇぞ】
【判ってる、もう少しでこの章を読み終えるから…】

何度言っても無駄だと判っているから、おざなりに注意して寝床に入る。
士官学校のカリキュラムは、若さで乗り越えるにしてもあまりにもハードなもので、ベッドに横になればすぐに眠気が襲ってくる。
深い眠りの淵に落ちたあとは、それから目覚ましのベルが鳴るまでは深い闇の中。それが士官候補生の短すぎる夜の正しい過ごし方だった。

それなのに、その日に限ってなぜか中途半端な時間に目が覚めた。
今から思えば、ある種の虫の知らせというヤツだったのかも知れない。
半分寝ぼけながら、濃紺に染まった天井を見つめ、次いで首だけを動かしてヒューズは隣のベッドを確認した。
その行動に意味なんて無かったと思う。

【ロイ…、ロイ・マスタング…?】

手の甲で擦った目をさらに凝らし、徐々に視覚を闇に慣らしていく。
小さなナイトテーブルの上に置いた目覚まし時計の針がどこを指しているのか、さすがにそれは読み取ることは出来なかったけれど、
その向こう側にあるベッドの中身が空っぽだということはすぐに判った。

――――トイレか?いや、それとも…。

ロイが手の掛かる子供だということを、その時すでに理解していたけれど、それだけは本当に勘弁して欲しかった。
夜半に目を覚ましたところで、暖かな寝床の中で横たわったままであれば、早々に次の眠りの波がやって来るだろう。
だが、一度その安寧を手放してしまったなら。

【ったく…。早く戻って来い】

手の掛かる子供は、一度落ちてしまえば自分以上に眠りにしがみつく。
そんなデータを頭の中で打ち消しながら、足音が聞こえてくるのをひたすら待った。

【おっせーな…大の方かよ】

だが待ちわびる足音はいつまでたっても聞こえてこない。
その代わりに、秒針が時を刻む音がやたらと大きく耳に響いて仕方ない。

夜が明ければ地獄の行軍訓練が待っている。
それなのに、最早眠気ははるか彼方へすっ飛んで行き、ロイに対する過ぎた庇護欲だけが、ヒューズの中に残された。

――――仕方ねぇ…。

どうせこのままじゃ、まんじりともせずに朝を迎えることになるだろう。
意を決して布団を跳ね除け、ヒューズはベッドの上で上体を起こした。
夜の帳は既に闇一色ではなく、次にやってくる朝と交じり合うために、深い紫に色を変えていた。

【ロイ…】

寝起きの掠れた声で小さく友の名を呼ぶ。
起き上がってすぐに目に飛び込んできたものは、小さな本棚を挟んで並べられている二台の机。
そしてその右側の机の上に、純白の小山がチョコンと乗っているのを確認してから、ヒューズはソロリと右足を床の上に下ろした。

【おい、そんなとこで寝たら風邪ひくぞ】

無防備にもロイは上着すら羽織らず、白いYシャツ姿のままで眠りこけていた。
セントラルの九月の夜は涼しいを通り越して、既に肌寒さを覚えるほどになっていた。
新学年度を迎えてすぐのこの時期に、こんなふざけた態度に出られてはこの先が思いやられる。
深いため息がヒューズの口から零れ落ちた。
修正するのなら、早いうちがいいだろう。
きつい訓練前に手を上げるのはさすがに可哀相だから、今夜の就寝前にでも一発――――

【殴らせてもらうぜ、ロイ・マスタング】

片方の唇の端を持ち上げて声も無く笑う。
意識して作った冷たい笑みは、鏡を通して見つめる自分自身をも感嘆とさせた人相の悪さだ。
この悪人面で、際立った幼顔のロイを殴るのは正直気が退けるが、これからの一年を同室で上手くやって行くためには、
少しばかり手荒い真似をするのも仕方のないことだと思う。

【ほら、あっちのベッドでおネンネしような】

規則破りには懲罰をもってして対処する。
いくら他と比べて華奢だと言っても、男同士には変わりない。
今差し出す甘さは、次に繰り出す鞭の痛みで相殺される。
そう思いながら伸ばした手で、いつまでたっても起きる気配を見せないロイの肩を掴む。

【ロイ】

そうして直に触れてみて初めて知った、その肉の薄さ。

それを知ってしまった後では、その肩に鞭を当てることなど考えられなかった。




「いい加減こっち向けよ」

掴まえたその肩には、あの少年の頃の脆さは微塵も残ってはいない。
程よい硬さの筋肉に護られた骨は、ヒューズと比較すれば一回りほど細くはあったけれど、それでも見事に花開いた男として他と比べても、
何一つ遜色ないものだった。

「離せ!」

ヒューズの手を振り切ろうとしてロイが身を捩る。
共に過ごした学生時代において、体術こそヒューズに引けを取ることは無かったが、私情が絡むこのような場面では、
ロイがヒューズから身を守れたことは一度も無かった。

「おまえが俺の方を向いたら離してやるさ」

それが何故なのか、今なら判る。
そしてその理由を、きっとヒューズはずっと昔に悟っていたのだと思う。
対照的なようでいて、自分達は【狡さ】という部分では大層似た者同志だ。
ここまで離れることなく自分たちが付き合ってきた理由は、決して二人の皮膚がどうしようもなく癒着してしまったというようなものではなく、
ただ単に、互いがいつまでたっても解こうとせずに放っておいた手首に絡んだ一本の紐が、いつの間にか固く締まって解けなくなってしまったことが原因
なのだ。

けれど鋏ひとつあれば事足りる。切り離すことなど造作ない。
そんな簡単な解決策から目をそむけ、自分はヒューズに肩を掴ませる為に未だにせっせと小さな罠を張り、それを知っていながら、
ヒューズは迷うことなくそのせこい罠の中に飛び込んでくる。

「いい加減、俺も切れたぞ!こっち向きやがれ!」
「うわっ!」

そして矢張り、今回も簡単に勝敗が決まる。

笑うなら、笑え。

どうせ子供じみた執着だ。

結局は反転させられて、向かい合う体勢に持ち込まれる。
そして観念したように顔を上げたロイを迎えたのは、一瞬の沈黙とその後におこった大爆笑だった。



(2005.09.10 続く)


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