Knockin' on heaven's door−3 (1)
(ヒューズ39歳、ロイ39歳のパラレル連作です)


「あー、もう!法務長官殿、なんとか意見してやって下さいよ」

大量の書類を抱えた付き人と共に、大総統府に足を踏み入れた途端に聞こえてきた悲痛な叫びに、マース・ヒューズは軽く眉根を寄せた。

「よぉ、大尉殿。なんて顔してんだ、ああ?折角の男前が台無しじゃねぇか」

僅かに目線を上げれば、麦わら色の伸びた前髪を筋張った大きな手でワシャワシャとかき回しながら、大総統付きの護衛隊長が、
煙草のフィルターを忌々しげに口の端で噛み締めていた。

「おんや〜、おまえさん、禁煙中じゃなかったのか?」
「どこでそんなガセネタ掴まされたんスか?今更コレ止めたところで、ガキの頃からの積み重ねを考えりゃ肺の洗浄なんて望めそうにないっすからね」

だから無駄な足掻きはしないのだと開き直りながら、それでもさすがに上官の手前マズイと思ったのだろう、
まだ半分以上残っている煙草をハボックは素早く携帯用の灰皿に放り込んだ。

「で、今日はどのような御用で?」

ヒューズの後方に控えている、秘書の腕の中の分厚い数冊のファイルをチラリと流し見て、ハボックは煙草の無くなった唇をヘの字に曲げる。

「コレか?例のアストレイ准将の不祥事の件で吊るし上げられた面々の調査書だ。壮観だろ?」

まだ一山分くらい優にあるんだぜ?と、脅迫するように付け加えてやれば、ハボックは大げさに肩を竦め天を仰ぐ。

「安心しろ。おまえさんの手を煩わせる類のもんじゃねぇからさ」
「そんなことは判ってますよ。手伝おうにも司法に疎い俺がこんなモン読んだところでチンプンカンプンでしょうしね」

手伝って済むことなら、それに越したことは無い。
ハボックにとって、この大量のファイルの束に目を通した後の大総統の機嫌がどちらの方向に向くのか、それだけが心配の種だった。

「ところで大尉、俺またアポ無しで来ちゃったんだけど、今いいのか?」
「ヒトヨンマルマルから将官会議に出席の予定ですが、それまでなら大丈夫だと思いますよ」

立てた右手の親指で、重厚な大総統執務室の扉を指しながら、取り敢えずのお伺いを立ててくるヒューズに、ハボックは苦笑しながら言葉を続けた。

「法務長官殿に関しては、俺たちの間では顔パスが暗黙の了解ですからねぇ」

今更なんだと言うのだろう。
この抜け目ない男が、この国で一番多忙な親友のスケジュールを数ヶ月単位で把握しているということ、
それこそが本当の意味での暗黙の了解だというのに、まるで護衛隊長であるハボックの面子を立てるかのように、
毎度しおらしげに大総統への接見の取り次ぎを願い出る。
だがそのしおらしさも、度重なるアポイントメントの放棄でご破算となり、ヒューズの持ち点は既にマイナスの域に突入していた。

「大丈夫だとは思いますが、一応取り次いできます」

ハボックの言葉尻にほんの少しだけ混じる嫌味を受けて、今度はヒューズがニヤリと笑顔を返す。
こんな些細なやり取りも、彼にとっては単なる遊びのひとつなのかも知れなかったが、付き合わされる身にとっては、かったるいことこの上ない。
特にハボックにとっては、このいささか公私を混同した法務長官の来訪を大総統に取り次ぐことは、ある種の痛みを伴う儀式でもあった。

【全くアイツは。こちらの都合も考えずに…】

白い眉間にこれ見よがしに皴を寄せ、一言二言文句を吐き出して。
それなのに決して彼は面の皮の厚い訪問者を拒むことはない。
ギリギリ三十路をキープしている現大総統が、若い頃から変わることなく、素直な性質でないこと。
それは直接その下で働く者であれば、誰もが知っていることだった。
そして彼がまだ十代の頃から、一番近くに置き続けた人物が誰かということも。

「それでは少々お待ちください、法務長官殿」
ことさら丁寧に背筋を伸ばして敬礼し、ほろ苦い想いを固めた拳の中に隠して、大総統執務室の扉をノックしようとしたハボックだったが。

「ちょっと待った、ハボック大尉」

軽くスナップをつけた手首を後ろから掴まれて、咄嗟に息を呑む。
文官畑のエリートという肩書きを裏切るに足る握力に、一瞬ひるんだハボックが自分の置かれた立場を忘れてその強い圧力から逃れようと、
手首を振って抵抗する。

そんな咄嗟の無礼な行動を正当化するには、気恥ずかしかったと言えばいいのか、それともいっそ貴方が恐ろしかったと言えば許してもらえるのか。
そうハボックは恐ろしかったのだ。
硬く握った手の中に隠した、マース・ヒューズに対する幼いばかりの嫉妬心を本人に向けてさらけ出すことが。

「何か私に…用がおありでしょう…か?」

震えてみっともない声が出ないように、ただそれだけを心がけ、一瞬にして渇ききってしまった唇を開く。
そこから飛び出した、ハボックのぎこちなくも丁寧な言葉遣いに今度はヒューズが目を丸くする番だった。

「おい大尉、何ビビッてんだ?」

子飼いの部下として、十数年の長きに渡ってロイの下で健気に働いてきた飄々とした風貌が印象的なこの男が、自分の前でここまで緊張することはそう
あることではない。
親友曰く、デカイくせにいくつになっても妙に可愛い気のある男が、主人に怒られた愛玩犬に似た表情で自分を見つめる様子が可笑しくて、
堪らずヒューズは声をあげて笑い出した。

「なんて顔してるんだ。何もおまえさんを取って食おうなんて思っちゃいないぜ?」

―――どこに歯を立てても、硬いところだらけに違いないからな。

掴んだ手首をやんわりと離して、ヒューズは煙草の残り香を纏った男が完全に忘れ去っているらしい話題をむし返した。

「ところでおまえさん、なんか忘れちゃいねーか?」
「え、俺がですか?」
「おいおい、おまえさんが言い出したことじゃねぇか。さっき俺の顔見るなり【なんとか意見してやって下さいよ〜】って、情けない声出してたじゃねぇか」
「あ…!」

そこまで遡って漸く思い出したのか、ハボックはほっと大きく息を吐いてから、安堵の笑みを零した。

「大総統の顔を一目見れば判りますよ。本当に幾つになっても自分のことが判ってない人なんだから」

そしてその諦めの悪さに、どうしようもなく惹かれる。




「大総統閣下、ご機嫌はいかがですかな?」

早速通された執務室でヒューズを待っていたのは、珍しく数枚の書類に熱心に目を通しているらしい大総統の背中だった。

「悪いに決まっている」

不景気な返事はすれど、振り返ることはしない。
そんな横柄な態度を気に留めることもなく、秘書の手から受け取った重いファイルの山をハボックはせっせと執務机の上に積み上げていく。
その間にもロイの視線は書類の上から離れようとはしなかった。

「書類はこれで全てですね。それでは俺はこれで失礼させていただきます」
「うむ。ご苦労だった」

軍靴に包まれた両方の踵を綺麗につけて、折り目正しい敬礼をしてみせたハボックに一瞥もくれず、
ロイは労いの言葉ひとつだけで見送ろうとした。
その素っ気無い態度に不服を唱えることなく、ハボックは次いでヒューズの方へくるりと振り返った。

「ヒューズ法務長官、それでは宜しくお願いいたします」
「おお、ご苦労だったな。ありがとよ」

何をよろしく頼むというのかを最後まで告げることのないまま、すれ違いざまにヒューズに向けてVサインを差し出して立ち去ったハボックに、
今度はヒューズが感嘆のため息を漏らす。
先ほど扉の前で自分に見せた、哀れなほどの強張りは一体なんだったのか。その豹変振りは全く賞賛に値する。

「この飼い主にあの犬あり―――か」

小さく呟いたヒューズの声は、どうやらロイの耳には届かなかったらしい。
相も変わらずこちらに背を向けて、書類の束とにらめっこを続けている。
その間に、癖のない絹の輝きを持つ黒髪をじっくりと堪能するのも悪くはないと思ったヒューズだったが、呪われたように自分をひきつけて止まない、
あの強い眼差しを感じることが出来ないのはやはり物足りないのだ。

「ローイ、折角親友が来てやったってーのに、その態度はねぇだろ?」
「煩い。アポ無しで来るおまえが悪い。それにどうせ私の仕事を増やしてやろうという魂胆なのだろう?」
「まあ、そんな可愛くないことを言うなって。俺だってバカ話をしにココに来る訳じゃねぇんだし」

怒る理由があるのか、それともただ単に忙しさゆえに拗ねて甘えているのか。
何にせよ、頑なにこちらを振り返ろうとしないロイに痺れを切らし、ヒューズは歩み寄る姿勢を友に見せるために近くにあった紫檀の椅子を引き寄せなが
ら、執務机を挟んでロイと向かい合える場所に移動した。
豪奢な椅子に深く腰を下ろしてから、改めてロイの背中をヒューズは見詰め直す。
その執拗な視線の熱に炙られたのか、姿勢よく伸ばされた彼の背中が僅かに揺れるのをヒューズは見逃さなかった。



「これは北部司令部内の薬物汚染に関係した奴らの供述調書だ。大元締めが第3山岳部隊所属の旅団長という大物だったお陰で、膨大な量になった」

悪しき薬物が蔓延したきっかけは、長期化した北方戦線にあった。
前線に送られた兵士達が戦う者は、目に見える敵兵だけではなかった。
山岳地帯が続く北の国境地帯を行軍するためには、道とは名ばかりの獣達の縄張りを進まなければならない。

一時間かけても数メートル進むのがやっとと言う、起伏に富んだ険しい地形そのものが敵のときもあれば、
全ての感覚を奪い去っていく寒さと飢えが敵となるときもある。
内側からじわりと攻めてくるそれらの嫌らしい敵は、気を張っていなければあっという間に一個部隊に蔓延し、
兵達の身の内を荒らして腐らせていくのだ。

「今回おもに出回ったのは、今でも稀に抗欝剤としても用いられているデキセドリンってぇ代物だ」
「ふん。確かイシュヴァールの内乱の時にも派手に出回っていたな」
「あの頃はまだ薬局の棚に普通に並べられていたからな」

前大総統がアメストリスを統治していた時代には、一般流通から外れて尚、一部のアンフェタミンの服用は黙認されていた。
兵達の精神の高揚が国の勝利に繋がるというのがその理由の第一であったが、濫用の度が過ぎれば破滅は免れない。

自らが仕掛けた罠にかからぬように、ロイがブラッドレイに代わってその地位についてからは、アンフェタミン及びメタンフェタミンの個人での使用は固く
禁じられ、今では例外さえ認められてはいない。

「昔の悪癖の名残…か」

感慨深く呟いた時でさえ、ロイは机の上に聳え立つ関係ファイルの山を見ようともしなかった。



(2005.09.09 続く)


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