Knockin' on heaven's door−2
(ヒューズ39歳、ロイ39歳のパラレル連作です)


勢い良く大総統控え室の扉を開いたマース・ヒューズの耳に真っ先に聞こえてきたのは、遠い夏の日の音だった。
小さな魚が水面を跳ねているような、優しく懐かしい音はしかし、幼い日の記憶とは異なり、一向に止む気配を見せない。

「ローイ、聞いたぞ、お前。また悪いクセが出てきたそうだな」
「悪いクセ…?何のことだ」

親友の少し険しい声を間近に聞いても振り返ることもせず、マスタング大総統は開け放った窓の傍に運んだ椅子に座り、
生温かい風にその艶やかな黒髪を嬲らせている。

「それにまた麗しの副官の言いつけを守ってねーし。おまえの側近は苦労しっ放しだな」

いくら軍施設内であろうとも、国家権力者を狙う目が皆無であると言い切ることは出来ない。
白日の光が差し込む窓際に、近隣諸国にも知れ渡っている端正なその姿をだらりと投げ出しているこの光景を目にすれば、
鷹の目と恐れられている美しい女傑は静かに、けれど深く深く、怒り狂うことだろう。

「それと、さっきからなんか水音が聞こえてくるんだが、一体全体…」
「あまりに暑くてな…。ああ、そこからでは見えないか」

東部の夏は、大総統府を構えているセントラルとは比べるのもバカらしいほどの高温と湿度で、
査察の名目でイーストシティに数日間駐留することになっているロイの肉体を痛めつけていた。

それでも、その内実を知る由もない者たちと接する時には、詰まった軍服の襟元を寸分とも崩すことをしない外面の良さは健在で、
暑さに弱いその薄い皮膚を知る自分も、傍でその強がりを見守りながら苦笑を噛み殺していたのだった。


「答えを知りたければ、こちらへ来て見てみるがいい」

ちゃぷん…ちゃぷん…。

途切れることのない水面を軽く打つ音は、確かに椅子の背もたれにだらしなく身を預けているロイの方から聞こえている。

「いつもながら、偉そうだな」
「私は大総統だぞ」
「……忘れてた」

そのだれた格好じゃな――――
心の中でそう付け加えて、ヒューズは大きな執務机を回り込み、白いシャツの襟を乱してグッタリと腰掛けているロイの傍に歩み寄った。

「ふーん…なるほどねぇ」

ちゃぷん…。

冷たい水面に輪を描いていたのは、ロイのすんなりとした脹脛から下の部分だった。
ブリキのバケツにたっぷりと水を汲み、軍靴を脱ぎ捨てた剥き出しの足を、水辺で遊ぶ幼子のようにその中に漬けて涼を取っていたのだ。

「涙ぐましいな、オイ」
「仕方ないだろう。こう暑くては仕事が捗らんのでな」

苦肉の策だと力なく笑いながら、右手で演説用の文書を扱っている姿が年甲斐もなくいじらしく思えてしまうのだから適わない。
しかし、だからと言って、ヒラリと風にふるえる書類の束の向こうに見え隠れする左手が持つ、赤く輝く丸い宝玉を見逃してやる訳にはいかなかった。

――――ロイの指が摘む薄赤い濡れた玉は、昔コイツが掴み出したという、真紅の石に少しでも似ているのだろうか?

白い指先を濡らす甘い水滴に目を奪われながらも、ヒューズはロイの膝の上に載せられたガラスのボウルを取り上げた。

「おい!ヒューズ、返せ!」
「ダーメ!これがおまえの悪い癖だ。大総統になっても全然変わんねぇのな」

バケツに足を突っ込んだまま、椅子から立ち上がろうとしたロイから身をかわしながら、ヒューズは取り上げたボウルの中から、
見せ付けるように丸くくり貫かれた赤い果実をひとつ摘んで、暑さに乾いた自分の口に放り込んだ。

「おお、こりゃ美味だ」
「勝手に食うな!それは私の命の綱なんだ」

悲痛に叫ぶロイの物言いは、はたから見ればオーバーに聞こえるかもしれないが、彼の身を案じる部下たちにすれば、
笑い事で済まされることではなかった。

「おまえ、東部に来てからこっち、口にしたもんがスイカしかねーんだってな」

シャリリと冷えた果実を噛み締めた後に、ヒューズは睨みつけてくるロイの視線を同じ強さで弾き返した。

「例年を上回る暑さなんだ。食欲も無くなろうというものだ」

確かに一歩外に踏み出せば、そのまま茹で上がってしまいそうな暑さではあるが。

「おまえの場合、暑さ寒さに関係ないだろーが。気に入ったものばかり食い続けるクセはよ」

そうだ。
コイツのキレイな唇は、一度気に入れば一週間でも二週間でも、同じものを欲しがるという一種の悪食に侵されているのだ。
それも、仕事や研究に追いかけられて、身動きが取れなくなればなるほど、その傾向が強くなる。

「確か、東方司令部に異動した十三年前の夏には、おまえはスペアリブばかり食ってたな」
「あの時は、まだ二十代だったから…暑さもここまで堪えなかったんだ!」

ただ寂しかっただけだとは、死んでも言えないのだろう、この男は。
もしかしたら、ひとりで不規則に摂る食事の味気なさに、瀕死状態に陥っているその唇が欲するものを、本当に判っていないのかもしれない。

「スイカばかり食ってねーで、今夜は俺と一緒にメシを食おう」

東部名物の地鶏料理と、パスタとレンズ豆のスープ。
デザートには白桃入りのブラマンジェ。
あとは冷えた白ワインでも用意すれば、いつも煩いコイツの口も閉じられることだろう。

「約束だぞ」

一方的な口約束を交わしたあとに、ロイの口に一粒の赤い果肉を押し込んで、ヒューズは大総統控え室を後にした。


(2005.07.05)


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