Knockin' on heaven's door−1
(ヒューズ39歳、ロイ39歳のパラレルです)


「っ…あ、痛いだろう、おまえ」
「ちーっと我慢しろ。おまえこそ、こんなことを俺にさせといて、文句まで言うとはいい度胸じゃねぇか」


いくつになっても、この男は些細な痛みに弱い。
あれから二十年近くの時が過ぎようとしているのに、未だに未曾有の惨事だったと語り継がれているイシュヴァールの内乱や、
先の大総統との死闘を経て生き延びてきたしぶとさが、まるで嘘であるかのような子供っぽさに、ヒューズは小さく喉を鳴らした。

「何を笑っている?」
「だってよ、おまえ。これで笑うなってー方が無理だろ?」

そう言えば、結局この男の童顔はこの歳になっても相変わらずで、どれほどの毒舌をその愛らしい唇から浴びせかけられようが、
その変わらない白さの頬をひと撫でしてやればそれだけで溜飲が下がるのだから、十代の頃から延々と引き摺っているらしいこの男のコンプレックスも、
長い付き合いの中でかなりの緩衝材となっていることは間違いないだろう。

「豪華な天蓋つきのベッドに、ペネロップの高級リネン。なにがなんだか判らんが、いい匂いのするルームフレグランス。
こんな女受けのする部屋で四十路間近の男がふたりきりで、何をしてるってかってーと…」

爪きりだ。
先の丸い、小さなハサミを手に持って、マース・ヒューズはありがたいことに、アメストリスの最高権力者の、
桜色に輝く足の爪の手入れを仰せつかっていたのだ。

「オヤジの手で爪切ってもらうより、べっぴんさんにやってもらった方がきっとありがたいと思うぜ?」

傍目から見ても道理に適っているであろう、そんな文句を言いながら、それでもヒューズはロイ・マスタング大総統の右の足を横柄につかみ上げ、
爪の色よりも幾分濃い花の色を散らした踵を、胡坐をかいた自分の太ももの上に乗せた。

「私はフェミニストなのだよ。それに、美女が相手では深爪の注意も出来やしないではないか」
「へいへい…」

パチンと乾いた音が、ヒューズの生返事と重なり合いながら、広すぎる部屋に、空間に吸い込まれていく。

――――まさか、こんな歳になるまで、こんな付き合い方をするとは思ってもみなかった。

勿論この想いは、後悔では無い。
けれど、まるごと喜ばしいと思っている訳でもない。
甘やかしたつもりは無かったけれど、突き放すことをしなかったツケが、一蓮托生という少しばかり気味の悪い絆に変貌してしまったのだとしても、
この距離はあまりにも心地よすぎる。

手を伸ばせばすぐに触れることが出来る、苦い煉獄。
クセになる苦さは、懐に常時しのばせているクスリのようだと、喉にひっかかった笑いの欠片を腹の中に落とし込みながら、
ヒューズはキュッと片方の唇の端を引き上げた。


「いたっ…!おまえ、もしかしてワザとやってるんじゃないだろうな?」
「これのどこが深爪だ、ああ?昔、エリシアの爪を切ってやった時だって、こんなもんだった。
あの子は文句のひとつも言わず、切り終えたあとは【パパ、ありがとう!】ってキスをしてくれたもんだ」

その最愛の娘も、ミドルスクールに入学してからというもの、爪どころか髪の毛一本触らせてくれなくなった。
年頃の娘から見れば、軍事法務長官であるキレモノの父親も、ただのくたびれたオヤジでしかないということだ。
そしてあまりにも濃い血の繋がりが、思春期の娘の偏った潔癖性に拍車をかける。
それでもあの娘は、自分にとってはやはり天使以外の何者でもない。
今ここに居る、黒い翼を折りたたんで広いベッドの上に身を投げ出している男と、比べることさえできないほどに。

「その頼みの綱の娘も、おまえの相手はもうしてくれないのだろう?私が暇なときは慰めてやるぞ」
「なーにが慰めてやる、だ。男やもめに言われたくねぇ!」

減らず口を黙らせるために、ヒューズはロイの細い足首を引いて、ピシャリと体毛の薄いふくらはぎを叩く。
何度も味わうデジャヴの分まで、憎憎しい男だ。なのに結局離れられずに、ここまでズルズル付き合ってきた。

「それにな、おまえの面倒を見てきた歴史は、エリシアが生まれる以前から始まってるんだ、バカヤロー」


――――パチン。

またこの男は、深爪だと怒るだろうか。
懲りずに減らず口をたたくようなら、付き合いの深さの分だけサービスしてやってるんだとでも言ってやろうか。


「なるほど…そうか」
「何が【なるほど】なんだ?今頃、俺のありがたみが判ったなんてぬかすなよ」
イヤな予感が渦巻く胸を隠すように上体を折り曲げながら、最後に残った右足の小指の爪をワザと派手な音をたててヒューズは切り落とした。
摘まれた白い爪が乗った柔らかなティッシュを丸めれば、それでようやく傅く作業も終わりだと安堵のため息をついたヒューズの頬に、
先ほどの予感を裏切らなかったロイの手が伸びてくる。

「士官学校時代からおまえに爪を切ってもらってたが、一度も礼を返したことがなかったな」

そのまま引き寄せられて、硬い髭の浮いた頬に濡れた感触を押し付けられる。

「それで拗ねていたんだろ?悪かったな、受け取れ」

――――ああ、もしかしたら。俺はコイツの育て方を間違えたか?
きっとそうだ。
そうに違いない。

「なーにが受け取れだ!おまえへの貸しは学生時代から延々と続いてるんだ。キスひとつで足りる訳ねーだろ!
等価交換って言葉の意味を思い知れ、このヤロー!!」

そう叫びながら、ヒューズは腹を抱えながら笑い続けるロイに向かって飛び掛っていった。


(2005.6.17)


←短編頁


Knockin' on heaven's door−2
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送