PERFECT DAY(3)


ヒューズが一度やると決めたことに着手する速さは尋常ではなく、お膳立てもただひたすらに完璧を目指す。
ロイの返事を待つまでもなく、ヒューズは宿舎に帰ってきた早々にふたり分の外出許可証を手配した。


「明日は仲良く森でふたりして薬草取りだ。今夜は夜更かし厳禁だ!」
「おい、待てよ。俺は付き合うとは言ってないぞ?」
「あん?残念ながらさすがの俺も植物学には疎いんだ。おまえが居なきゃ話にならん」
「おまえ・・一体何人分の草を用意するつもりだ?」

さすがに呆れ果てたのか。
低く落ちたロイの声は、反論する気力もそがれて抑揚がなくなっている。
逃げ水のように監視の目を掠めながら、場所を変えて生徒たちに受け継がれていく"隠れ家"に招待された男たちが、
ひしめき合いながらトリップする様子を想像すると、壮観をはるかに超えて壮絶にまでたどり着く。

「大体、俺ほどじゃないがおまえだって草が効きにくい体質だろう?何が楽しくて・・」
「いいじゃねーか。正気を保ってるヤツが居なけりゃ、すぐに魔女狩りに引っかかっちまうだろ?」

忍び込んだ士官学校第二棟の旧資料室は、ひんやりと無表情に闖入者たちを受け入れた。
床に薄くつもる塵も、長く締め切られていたために逃げ場なく篭っていた黴臭さも、今は夕暮れの藍色に塗りこめられてどこか神秘的でさえあった。



その前日の。
午前の早いうちから健やかに学舎をあとにしたヒューズとロイは、見送る舎監に「これも鍛錬の一環」と嘯いて、森へと向かった。

たどり着いた先で、ぎっしりと食料が詰まったランチボックスの中身を平らげたあとにそこに敷き詰められたのは、
イラクサ、ヒルガオ、ヒヨスなどの可憐で小さな花束だった。

こっそりと士官学校に持ち込まれた淡い色のアルカロイド。

実家から持ち帰ったアルコールの小瓶と一緒に、それをデザートの彩りのように配して"コーヒーショップ"へと誘うヒューズの耳打ちを拒む者は
誰も居なかった。


「黴臭いな」

長らく締め切られていたせいだろうか。
忍び足で歩いているにもかかわらず、薄暗い部屋の中で身動きするたびに体中に纏わりついてくる澱んだ空気に、
たまらずロイは鼻の付け根に微かな皴を寄せて呟いた。

「この黴臭さが、俺たち士官学校生の生真面目さを物語ってくれてるんだよ。日々勉学に勤しみ、
こんな場所にたむろってる暇などございません・・ってな」

ふいに伸ばした腕をロイの肩に回しながら、しれっと嘯くヒューズの後ろから笑い声があがる。

「おまえ、どのツラ下げて生真面目なんて言葉が言えるんだ?鳥肌立っちまったじゃねーか」
「まったくだ。こんな悪党が俺たち三十期生のトップなんだからなぁ、たまんねぇぜ」

ヒューズが"コーヒーショップ"へと誘ったのは、ホーネット、ラプター、フランカーの三名。
前記の二名は幼年学校から士官学校へ進んだ云わば正規ルートの生徒だったが、フランカーは中央士官学校三十期生唯一の、
下士官出身の生徒だった。
ホーネットとラプターのふたりは、歳相応の好奇心が赴くままにヒューズの口車に乗ったのだろうが、ロイたちよりもふたつ年上のフランカーは、
年下の同級生たちが破目を外しすぎないように目を光らせるお目付け役のつもりでついてきたのだろう。
実年齢よりも幾分上に見える恰幅の良いその姿は、こんな場所にはあまりそぐわない温和なイメージだ。

各自が勝手に資料棚から取り出した分厚い書物を椅子代わりにして、部屋の中央に円陣を組んで5人は座り込む。
そして各々の手が届く場所にウィスキーやジンの小瓶が固い音を立てながら並べられていく。
それに続いて、森で調達した素朴で小さな草花たちがロイの手によって床に横たえられた。
5人の足元に転がされた草花は地下茎から切り離されて、野生のたくましさを手放した乾いた姿を黙って曝け出す。
わずか半日前まで、淡い紫に染まる可憐な丸い花びらを風に弄らせていたヒルガオも、触れてくる指を傷つけるイラクサの棘も、
今はもう見る影もない。

「酒も一級品ばかりだけどよ、グラスの方も昨日摘んできたばかりの天然ものだぜ?なぁ、ロイ!」
「ふぅん、こんなどこにでも生えてそうな雑草がドラッグの元の姿なんだ・・」
「この黄色いの、軍隊演習で使ってる学舎の裏の小山に生えてたぞ」

密やかな声で交わされる会話には加わることなく、ロイは懐から小さく折りたたまれていた一枚の紙を取り出した。
儚くなった姿の草花の横に、元の大きさに開かれた白い紙をはらりと落とす。
微かに動いた空気に巻き上げられた細かな塵が、仄かに部屋に差し込んでいる光の中を舞う。

「これって・・・もしかして、錬成陣ってヤツか?」

真っ先に覗き込んだホーネットの呟きに導かれて4人分の視線が白い紙の上に落ちる。
なんの変哲もない紙に描かれた小さな円環。
その輪の中には、ふたつの三角形を上下に組み合わせて星の形にした図柄と、小さな古代文字が収められていた。
「へぇ、これがね…」
雑とは言わないまでも、フリーハンドで描かれた円はわずかに歪み、その中に描かれた六芒星も苦心の跡はうかがえるものの、どこか子供のいたずら
書きを思わせる。
ロイの手によって成された錬成陣はそんな素朴なものだった。

「マスタング、おまえの錬金術の腕を疑うワケじゃないんだが・・」

口ごもり、語尾を濁したフランカーに別段気を悪くするでもなく、ロイは萎れた草花を錬成陣の内側に移動させた。


「錬成陣は錬金術にとっては必須のものだが、完璧に整えなくてはならないものじゃない。
植物からの錬成には六芒星の中にできる六角形が重要なんだ。そのカタチさえ認識できれば問題はない」
「ふーん、割といい加減なものなんだな」
「勿論、円が完全に閉じられてなかったりすれば、円環の中に空間に満ちているエーテルは術を発動させるための媒体にはなってはくれないがな」

なおも興味深げに錬成陣を見つめるラプターの呟きに、もうロイは応えることはなかった。

そして次には、なんの前触れもなく唇から小さく零れ落ちる短い呪文。
集まった者たちがそれに気づくよりも早く、異変は起きていた。

瞳を射抜く光もささず、奇跡を呼び覚ますような音も鳴り響かない、ただ青白い発光体が床を這うだけの、至極単純な変容。
だが、より深まった藍色の中に白く浮かび上がる紙の上に置かれていた乾いた植物は、ものの見事に姿を変えていた。


瞬く間に抽出・精製されたアルカロイドの最小致死量以下を量るのもロイの役目だった。
吸煙では部屋に匂いがつく。
それを厭って経口で摂取することを選び、純度100パーセントのスコポラミンとアトロピンの粉を混ぜ合わせて凝固させる。

「ドラッグをやりたい奴は酒はやめておけよ」

より直接的に人体が毒素の影響を受けてしまう経口摂取は、同量でも吸煙と比べて危険が伴う。
そして細心の注意をはらって幻覚剤として使用できる最小量を割り出しても、アルコールと薬物を併用することで、
思わぬ副作用がでてしまう恐れがあるのだ。

「えーっ、マジっすかぁ?」
「んな固いこと言うなよ。ちょっとくらい飲んだっていいだろ、マスタング?」

ロイの忠告に対し、ホーネットとラプターがすかさず不満を口にする。
どうやら向こう見ずで無邪気な欲望は、不確定な死を恐れることはないようだ。
興味深げに白い粒を摘み上げて眼の上でかざし見ているフランカーと、既に気に入りのモルトウィスキーで唇を湿らせているヒューズは兎も角として、
まずはこの場の快楽のすべてを手に入れるつもりでいるふたりを諌めなければ宴は始まらない。


「このアルカロイドの粒の成分は、いわゆる最小致死量を下回るものだ。だが、酒に酔いやすい奴やそうじゃない奴がいるように、
薬物にだって合う奴と合わない奴がいる。それだけでもドラッグには危険が伴うんだ。
これ以上リスクを負わないためにもアルコールでドラッグを飲み下すことは禁止する」

こんな場所でどちらの言い分が正しいかを判定するほど、バカらしいことはないだろう。
たとえそれが命のやりとりを孕んでいる事実があるにせよ、そのやばさを感じられない者たちにいくら説いたところで無駄なのだ。
若さゆえの暴走は、欲望の方がいつでも理性を僅かに上回る。
正論がまかり通らない場所があるということが、逆にロイには判らないのだ。

度を越えた悪戯を完遂する為に必要なものは乗りの良さだ。
そしてそれは裏返せば、臨機応変とか便宜主義とかいわれるもの。
そこから一番遠い場所に居るロイにそれを望んでも仕方のないことだし、譲り合いの精神を押し付けるつもりもない。
本人が甘噛みのつもりでも、わだかまりという疵を残しかねない場合は、それとなく手綱をひいてやればいいだけのことだ。

―――――自分が彼の傍に居られる間は。

「はい、はい、ハーイ!ロイくん、提案があるんですがー?」

懐の中をかき回しながら、声を上げたヒューズに全ての視線が集まる。
パリパリという独特の音を立てながら、彼が上着の内ポケットから取り出したものは。

「葉っぱもダメ、錠剤もダメ。だったら中間を取ってだなー、炙りでやるのはどうだ?」

クシャリと全面についた皺が暗い部屋の中で万華鏡の模様にも見える、銀紙の欠片だった。


(2004.06.10 続く)

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