THE NIGHT PORTER (6)


それは一幅の絵のような光景だった。

複雑なモチーフが織り込まれた純毛の絨毯に両膝を受け止められた青年は、伸べられた大きな男の手に庇護を求めるように、
頭を垂れたその姿勢を変えようとはしなかった。

けれど。
「ロイ・マスタング。汝は軍の狗…言うなれば、私の忠実な僕。それに間違いないか?」
全ての上に立つ者に相応しい、ブラッドレイの響きの良い声に、彼は答えようとはしなかった。
「どうなんだね?」
幼い子供の悪戯を問い質すような、優しい声が続く。
それと同時に、ブラッドレイの節の太い五本の指が、跪いている青年の、濡れたように輝く黒髪の中に埋め込まれる。

その指が癖の無い髪を梳く仕草で上下したあとに、緩やかなラインを描く果実を連想させる瑞々しい頬をゆっくりと滑り、
最後に鋭く抉られた、弛みのない顎にたどり着いた。
「私に尾を振ってくれるかね?マスタング中佐」
そのまま顎を掬い上げられて、青年の白い面がブラッドレイと向き合わされる。
秀でた額を零れ落ちる前髪から、露にされた形の良い眉。
それに何よりも、水底で光る結晶の鮮烈さで視線を奪う瞳の色に、ポーターは低く唸りをあげる。
昔語りに聞いたことがある。
黒は他のどの色よりも、高貴で美しい色だという説を、これほどまで体現した例を見たのは初めてだった。

「さぁ…これを」
「御意のままに、閣下」
顎に添えられた手が離れた後に、青年に与えられたものはブラッドレイの二本の指だった。
ぴたりと寄り添いあった、人差し指と中指を口元に突きつけられても、青年佐官は少しも引くことなく、
すぐさまブラッドレイの意を汲んで、差し出されたその指を自分の口腔に招き入れる。
垣間見えた赤い舌。
それを蠢かせながら、節くれだった男の指を刺激していく様は、見ているだけで腰が蕩けそうな光景だ。
しかし、その行為を施されているブラッドレイ自身は、それが慣れ親しんだ前戯であるのか、表情ひとつ変わらない。

「ん……」
苦しげな息継ぎの音が、ポーターの聴覚を嬲る。
一気に込上げてくる欲情の波を抑えるために、手にしてはいたが、今の今まで忘れ果てていたグラスを、ポーターは慌てて唇に運んだ。
カチカチとグラスの縁が歯に当たる。
鼻をつくワインの熟成した香りと、熟成した男に仕える舌先の愛らしさ。
それら全てがより合わさって、ポーターの性感に凶暴に襲いかかる。

堪ったものではなかった。
自ら動こうとはしないブラッドレイの指が、青年の口腔だけでなく、それを見つめている自分の脳髄までも侵しているような錯覚に、
ポーターは急激に陥っていった。


「折角のゲストを交えての余興だ。今日は趣向を少し変えてみようか。君…」
ポーターの赤く染まった瞼の裏を引き開けたその声は、未だ青年にその指を預けている、ブラッドレイのものだった。
「はい。私に何か御用でしょうか?」
予想もしない場面で声をかけられて、なんとか返事はできたものの、その声はみっともないほど掠れている。
「そこに置いてあるワインオープナーを、こちらへ持って来て欲しいのだが」
「オープナーを…ですか?」
「そう、君が持ってきてくれたのだろう?私達の為に」
空いた手を差し出され、漸く自分が何を求められているのか理解したポーターは、ボトルの傍に置き去りにされているオープナーを取りに、
ワゴンへふらふらと足を向けた。

―――そうだ…彼らにとって俺はこのオープナー以下の価値しかないのだ。

手にしたオープナーに自分の熱が移っていく心地よさ。
無機物に同化することが、一番手っ取り早く彼らの中に混じれる気がして、再び手にしたそれをしっかりと握り締める。
今夜の余興の彩りとして、気まぐれに許された場所を確保することしか、今の彼の念頭には無かったのだ。

「お持ちしました」
それでもなんとか欲望を抑え込んで。
恭しく権力者に、求められたオープナーを差し出す。
「ご苦労。では君もそこでよく見ておくがいい」
ブラッドレイの次の命令に、「何を」とポーターは問うことをしなかった。
引き続き繰り広げられる行為は、ただの快楽の追及なのだと疑いもしなかったから―――。


銀色のオープナーを手にしたと同時に、ブラッドレイは青年佐官に頬張らせていた片方の手指を引き抜いた。
「もう良い。前座は終わりだ、マスタング中佐」
明るい照明の下に曝された、唾液にヌラリと濡れた男の指から、目をそらした青年の姿が少しだけ痛ましい。
「これから君が、どれほど頑なで嘘つきなのか、彼に見てもらおうではないか。さあ、次は自分でシャツの釦を外してみなさい」
けれど、他の目にはどう映ろうとも、ブラッドレイはその支配から彼を解放しようとはしなかった。
「………」
白い首筋に同じ色の指がかかる。
今夜、この部屋に入ってすぐに着替えたのだろう、濃いグレーの細身のスラックスと、白いドレスシャツのシンプルな装いに包まれた身体は、
ブラッドレイと共に、あれほど淫靡な時を過ごしたというのに、まだ一糸の乱れも見せてはいないのだ。
「早くしたまえ。彼には仕事が残っている。ここで長々と引き止めるわけにはいかないのだよ」
第一ボタンを外しただけで動きを止めてしまった青年を急かす言葉の中に、ポーターを引き合いに出したブラッドレイだったが、
その視線が青年の白い指から逸らされることはなかった。
そうやって促されて、のろのろと青年の指が再び動き出す。
真珠色のボタンが上から順序良く外されていく様を、ブラッドレイは満足げに見下ろしている。

だが不思議なことにその瞳の中に、情欲の欠片を見つけることは出来なかった。


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