THE NIGHT PORTE (4)


「ご苦労だった。今ドアを開ける」
扉の向こう側にいる、黒い髪の佐官の表情はもちろん窺うことは出来ないが、再び聞こえてきた彼の声の中には、
苦い諦念と嘲りが含まれていた。
勿論それは、欲望を抑えることが出来ずに立場を弁えることなくここを訪ねてきた、自らの負い目がそう捕らえたのかもしれなかったが。

だが若いポーターにとっては、最初から相手の中にある真実などどうでも良いことだった。
閉ざされた扉の向こうに佇む彼の想いが、どこに向いているか。
そんなことは、当の本人でなければ真に理解できるわけは無く、また彼との精神的な繋がりなど最初から求めてはいない。
ただ、この一室を染め上げているに違いない、あの支配者の陰惨で猥らな気配を、ほんの一瞬でもいいから共有したいと思っただけなのだ。


「手間をかけたな、こちらへ」
微かにノブが回る音がして、その後にゆっくりと扉が開かれる。
汚れた期待に塗れた胸の内を悟られることを恐れて、ポーターは目の前に現れた、自分を誘ってやまない漆黒の瞳から、面を隠すように俯いた。
「いえ…こちらの不手際ですから。本当に申し訳ございませんでした」
振り絞る声の謝罪には答えることなく、佐官の白い手が、用があるのはポーターの手の中に握られた、
ワインオープナーだけだというように無言で差し出される。
「こちらのものが、いつもご用意させていただいているオープナーです」
掌に浮く汗でじっとりと湿ったオープナーを佐官に渡して、その重みを手放したあとは、一気に意識が身体の奥に灯った熾火の方へと流れていく。

「確かに…。では、これを」
急に軽くなった手の中に、変わりに放り込まれたのは数枚の貨幣。
それを握りこみながら、ポーターは憚ることなく肩を落とした。
そのあからさまな仕草が、目の前に立っている佐官の目にどう映ったか、そんなことを気に掛けることも今は出来ない。

(それでは…俺はお咎め無しか?)

正直者は、救われる。

己が犯した小さな、過ちとは言えないかもしれないほどのそれを、震えながら申告した自分も、その前例に倣ったのかもしれなかった。
だが、その正直者の顔は、まったくのフェイクでしかないのだ。
善良で、哀れみを覚えるほど正直者の、ホテルの従業員。
それは昨日までの自分であって、今の自分ではない。

震える身体の本心は、偉い男の不興をかう恐怖ではなく、彼らだけしか赦されていない場所へ踏み込めるかもしれないという、
恥知らずな期待からなのだ。


「まだ何か用があるようだが?」
手渡されたチップに対する礼も忘れて、扉の前に立ち尽くすばかりのポーターにさすがに苛立ったのか、
応対していた佐官は、先ほどまでの無表情が嘘であるかのように、その端正な顔に剣呑な色を浮かべている。
「いえ、あの…私に対するお咎めは…?」
その扉を閉ざされる前に。
それを阻止するためとはいえ、咄嗟に出た言葉には、さすがに反吐が出そうだった。

「なぜ、そのようなことを考える?」
哀れみを誘う、どこまでも卑屈な姿。
それに対して、眉間に立てた皴を消すことなく、醒めた口調で問い返す青年の瞳に、背筋がゾクゾクする。
「間違えたのが一度目であるならいざ知らず、二度目ともなると…」
相手が返す視線が真っ直ぐである分、快楽の分け前を、なんとか掠め取ろうとする自分の浅ましさが、より一層に浮き上がって、たまらなくなるのだ。
「閣下はそのようなことで気を悪くされる方ではない。特に一般市民に対しては寛大な方だ。いらぬ気をまわさなくてもいい」
「はい…」
一言の返事を返すのにも、胸が裂けてしまいそうな興奮が伴う。
自分のものとは全く違う、意志の強さを窺わせる強い眼差しは、きっとどんなに貶められたとしても、今と同じ光を宿しているのだろう。
だからこそ、この部屋にあの男と共に過ごすことを許されているのに違いない。

「寛大な処置に感謝いたします。それではこれで…」
身体の火照りと、屹立した欲望はまだ収まってはいない。
けれど今回はここが引き際だろう。
そう自分に言い聞かせながら、後ろ髪を引かれる思いで、ポーターは視線を上げることなく、より一層に頭を垂れたのだが―――

「待て。マスタング中佐、彼をここへ」
近づく気配を悟らせず、足音さえ押し殺して、いつの間にか背後に立っていた男からの思いもよらぬ命令の声に、
弾かれたように若い佐官が振り返る。
「なかなか実直そうな青年ではないか。それに…彼は嘘がつけない性質らしい」
その正直さという美徳に対しての褒美を―――。

そんな権力者の気まぐれによって、ポーターはその思惑通りに、第三の存在としてその部屋に招かれたのだった。


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