紅  夢


「パパ、すごいね、お空が真っ赤!」

確かにそれは自然のみが生み出す、再び見ることのかなわない鮮やかな色彩だった。

「ああ、凄いな。エリシアはこんな空を見るのは初めてかい?」
「うん!お空、火事みたい」
「はは、それじゃお空が燃えて落ちてくる前におうちに帰ろうな」
「うん」

無邪気にはしゃぎながら走り出そうとした娘の手を、奪われることを恐れるようにヒューズは強く握り締めた。
目を刺し貫くかのような狂暴な空の赤は、しっかりと繋がれた娘の手と父の手をも染め上げていく。
どこまでも、どこまでも。
バカでかい夕陽が、慈悲深い夜に隠されるまで、あの赤は執念深く追いかけてくる。

だけど、もう大丈夫。
あの角を曲がればすぐに、父と子を護り迎えてくれる家の扉が見えてくる。

そう、あともう少し。

「あっ、ママだ!パパ、ママだよー」

予定より大分遅くなった父子の帰りを気にかけたのだろう。
レンガ造りの壁の向こうから、ひょっこりと姿を現したグレイシアの姿を認めて、エリシアは今度こそ父親の手を振りきって、
小さな身体で転がるように母親の元へ駈け寄っていく。
今日の妻の装いは、マース・ヒューズが何よりも気に入っている、オフ・ホワイトのカシミアのアンサンブルにシンプルなグレーのタイトスカート。
母となっても清楚な美しさを失うことの無いグレイシアに、それはとてもよく似合っていた。

「ママ、ただいまぁ」
「おかえりなさい。もうすぐ日が暮れるわ、おうちに戻りましょうね」

抱きついてきた柔らかな娘の身体を低く屈んで抱き止めたグレイシアが、ゆっくりと近寄ってくる夫を見上げて微笑んだ。
優しいオフ・ホワイトに包まれたグレイシアの全身も、西の空から溶け出した赤に染まっていた。


あの日、世界はすべて赤かった。
地表を覆う灼熱に音を上げそうになる車を飛ばし、ヒューズがそこにたどり着いたときには、もう既に乾いた灰色に移り変わっていたけれど、
残像のように蹲る男に絡み付いていた赤は、貪欲に舌なめずりしながら次に燃え上がる機会を伺っていた。
あの色を共有してしまった自分も、彼と同じくあの日から逃れられない。
どこに居ても、誰と居ても。


―――――おまえもこの空をどこかで見上げているのだろうか?



お題拝借作品:「紅 夢」チャン・イーモウ監督・中国



(2004.2.21 初出)  


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