Hounds of love (2)


ロイが家路についたのは、既に夜半に差し掛かった頃だった。
行き場のない憤りの矛先を仕事に向けたその結果、周囲の者たちが帰り道の天候を気に病むほどの、書類の山の大移動に成功したのは良いのだが。
ロイの場合、嵌まり具合の度が過ぎると、時というものを忘れてしまうという対の欠点が浮かび上がってくる。
気が済むまで仕事に没頭した後に、再びロイの元に戻ってきた時間を顧みれば、定時を大幅に上回る宵闇が窓の外に広がっていた。
直属の部下たちがどうしても警護につけない場合、いつもであれば軍から数名選抜されている屈強な衛兵の目を掠めて
さっさとひとりで帰路へとつくのだが、それすらも厭う疲れに負けて回してもらった黒塗りの車に乗りこんだ。
人通りも途切れがちな通りを我がもの顔で走る車を使えば、国歌を唄い終わるより早く、ロイの根城たる堅牢な昔造りのアパートメントにたどり着く。
恭しく車のドアを開ける衛兵に頷きかけたあとに、ロイは前世紀の建築様式を引き摺る広いエントランスへと続く石段を登って行った。
自分から数歩下がった場所から聞こえる足音は、護衛という目的を同じくしても、いつも自分が背中を預けている男のものではない。

―――――当然だ。私があいつに非番を命じたのだから。

途端に込み上げて来たものを認めたくなくて、ロイは振り返った先に居た寡黙な衛兵に、ここで引き取るようにと命令を下した。


守衛に軽く会釈をした後に、急ぎ足で目指したプライベートエリアにたどり着き、そこでてようや、張り詰めていた気持ちが崩れていく。
微かに耳に残る聞き慣れない足音。
それは自分を護るという以外の目的を持たない、力強い象徴であったはずなのに。

―――――安らぎとは程遠い。

淡いブルーアイに背中を護られている時には浮かび上がることのない、その不安定さを持て余しながら、
ロイは複雑な造りの鍵を解いて扉の中に身を滑らせた。
そして違和感に気づいたのは、その直後。

「…えっ?」

らしくもない気弱さに囚われていたせいで、感覚が鈍くなっていたのだろう。
いつもは冷えた空間が自分を出迎えてくれる唯一の筈なのに、扉をあけた途端に身体に絡みついたものは、人が動いた跡が色濃く残る、
暖かな風だったのだ。
次にそれを裏付ける、開け放たれた部屋から廊下に漏れる人工の灯りを視界に捕らえ、ロイは発火布の手袋をはめた右手を固く握り締めた。
だが、自分に害を与えるのが目的でここに忍び込んだ者ならば、逆に全ての気配を拭って獲物を待ち構えるのが定石というもの。
どっちつかずの状況に別れを告げるべく、ロイは白い布に覆われた右手を僅かに身体の前にかかげて、灯りの漏れる部屋の前に忍び寄り、
音をたてぬよう注意深く中を伺い見た。

そこにロイが見つけたものは。

白いTシャツの上に羽織った前開きのシャツの襟に顔を埋め、ソファーの肘掛け部分に金色の頭を預けて幸せそうに眠りの中を泳いでいる、
非番の命令を受け取ったはずの部下の姿だった。

「おい、なんでおまえがここに居る?」

口調は大幅に違ってはいたが、司令室で口にしたのと同じ問いかけを、ロイは思わず零してしまった。
鮮やかに時が半日ほど巻き戻されて、そうして辿り着いたのはふたりだけの場所。
ロイは自分が風邪に臥せっていた数日前の出来事を思い出しながら、投げ出されていた長い脚を軍靴で軽く蹴飛ばしてみた。

「ん……大佐?…おかえり…なさい」

ショボショボと寝起きの目を瞬かせながら、それでもハッキリとした対応を自分に見せるハボックに、ロイは努めて顔を引き締めてみせた。

「『おかえりなさい』じゃない。私はおまえに家に帰るように命じたはずだが?」
「だから一度戻って着替えてきたじゃないですか」
「それは『戻った』とは言わない。服を着替える為に『寄った』だけではないか」
「あのね…そんな理屈ばっかり言ってると、苛めますよ?」

そんな言葉とはうらはらに、上司を甘やかしてつけあがらすことしか出来ないくせに。

「生憎、今のところ専属のバーテンダーの募集はかけてないんでね。来てくれても何もすることはないぞ」
「は……?ああ、残念ながらこの指ですからね。俺の腕前を披露したくても今日はちょっと無理ですね」

ハボックはかっちりと包帯が巻かれた指をロイの目線に合わせて立て、申し訳なさそうにもう一方の手で頭を掻きながら笑みを見せた。

「じゃあ、なんの用があっておまえはここに来たんだ?」
「だって…大佐、俺に静かな憩いの時間を提供してくれたんでしょ?」
「は?」

多分それこそ理屈を捏ねた末の、自分に都合の良い受け止め方ではないのか。

「あんたの傍にしかそれが見つかりそうにないから、俺はここに来たんです」
「おまえ…どの面さげてそう言うことを…」

あまりに気恥ずかしい告白に、ロイはさすがに文句を返すことも出来ずに絶句する。
そんな台詞を吐いた男の顔は、それでも大真面目なものだから、始末に負えない天然の手強さだ。

「温情を施してくれるって言うんなら、今夜は俺と一緒に居てくださいね」
「…勝手にしろ」

優しいくせに強引な部下に、あの日の手製のエッグノックの礼をぶん取られる覚悟を決めて、ロイはそっぽを向きながら軍服の上着を脱ぎ捨てた。



(2004.03.16 続く)


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