ストーカー
直属の部下数人を率いての巡回業務を終えて、ジャン・ハボックは東方司令部へ帰って来た。
司令室へ戻る前にまずは執務室を覗くことが、いつの間にか彼の日課になっている。
今日も今日とてノックをするのもおざなりに、分厚い執務室の扉を開けて上司の勤務状態を伺い見れば、
そこはハボックを嘲笑うかのように見事なもぬけの殻状態。
「また、どこをほっつき歩いているんだか…」
本日のロイ・マスタング大佐の予定には、会議やら同行視察やら軍のお偉い方の訪問などは一切入っていなかったはずだ。
軍施設内に自分の小さな巣を無差別に作りまくっている上司は、どうやら本日の午後の数時間をその中のひとつに篭もって過ごすつもりらしい。
「なーんで三十路前だってのに、あんなに落ち着きがないんだろうな、あの人」
煙草に火をつけたばかりのライターを指先で弄びながら、ハボックは軽く肩を竦めて司令室へと足を向けた。
「午前中の警邏業務終了〜。異常無しっす!」
司令室に戻ってみれば呑気なことに大の男が3人、頭を突き合わせるようにして、ひそひそ話に興じている。
どうやらホークアイ中尉の視線は彼らから遠く離れた場所にあるらしい。
彼女の扇の要のような眼力の偉大さをここでも思い知らされて、ハボックは耐えることなく苦笑を漏らした。
「おい、おまえら仕事もせずに何くっちゃべってるんだ,、ああ?」
フュリー曹長の頭の上に出来た隙間めがけて声をかけたハボックに、一番最初に反応したのはブレダ少尉だった。
「おお、なんだ帰って来てたのかハボック、ご苦労さん」
咄嗟に返してきた労いの言葉の中に微かな動揺の色が含まれていたことを、ハボックは見逃しはしなかった。
「またロクでもない与太話してんだろ、てめぇら。ホラ吐け、いま吐け、全部吐け!」
咄嗟にブレダの太い首を両手でロックして、ハボックは力の限り揺さぶった。
「うぐぐぐっ…!ぐ、ぐるじ…はな…せっ…」
「わわわ、ハボック少尉乱暴しちゃダメですよ!」
「ちょっとした噂話をしていただけです。ハボック少尉にもお話しますので、その手を離してあげて下さい」
予想に反して呆気なく陥落した3人は、司令室に戻ってきたハボックに気づきもしないままひそりと小声で喋っていた内容を、
ぽつりぽつりと各自の口から語り出したのだった。
「ストーカーの話をしていたんですよ」
「は?誰の?」
「マスタング大佐の…です」
「大佐の?それって女か?」
軍を敬遠している市井の人々の中にあっても、何故か大佐の人気は高かった。
特にご婦人方の間では絶大な支持を得ていたのだから、大佐に付きまとう影ならば女性のそれであるとハボックは踏んだのだが。
「いや、それがな…男なんだ」
「へっ?男?」
解放された首を撫で擦りながら告げる、ブレダの思いがけない発言に、ハボックは咥えた煙草を取り落としそうになった。
大佐に憧れる、非力でか弱い女性がその噂の対象であるならば、まだ笑える余裕も持てたはず。
だがブレダ達の噂によれば、大佐にねちっこい視線を絡ませて付きまとっているのは、紛れも無い男だということ。
――――――それって、もしかしてかなりヤバイんじゃねぇの?
仮にも自分はマスタング大佐のお目付け役のひとりなのだ。
あの腹黒さを白い肌に閉じ込めている人に上手に惑わされた野郎が、思い余ってひどい暴挙に出る前に。
危険分子の芽は速やかに摘み取るべし!
「おい、そのストーカーの面は割れてるのか?何か情報はないのか?」
手近にあったメモ用紙とペンをひったくり、ハボックはいつになく真剣な面持ちで同僚たちに情報開示を求めた。
「あー、背が高くてガタイのいい奴だそうだ」
「どうやら彼は、ホークアイ中尉よりも大佐のスケジュールを把握しているって噂ですね」
「自分が非常に目立ちまくっているということを、全く気づいていないらしいです」
はやる気持ちの表われか、のたうつ文字で三人の証言をメモに取りながら、ハボックは怪しいストーカーの分析に取り掛かる。
「背が高くてガタイ良し。情報収集には長けているらしいが、付きまとう姿を隠すことには頭はまわらない…と」
――――――もしかしたら、そいつはとんでもないマヌケ野郎ではないだろうか?
しかしそんな気の緩みが、取り返しのつかぬ事態を招き寄せることになるかも知れないと。
「情報提供感謝する。んじゃ俺、そいつが大佐に危害を与えないように、今から護衛に入らせてもらうから!」
「おい、ハボック!さっき執務室覗いたけど大佐の姿なかったぜ。どこに居るのか判ってんのかよ?」
そんなブレダの疑問を吹き飛ばすが如く、親指を立てながらニヤリと笑ってハボックは。
「今日みたいな天気のいい温かい日には、中庭のベンチ近くの茂みの陰か食堂裏のテラスだな」
そう言い残し、駆け出す寸前の早足で、ハボックは戻ってきたばかりの司令室を後にした。
上司を護る任務に燃える、凛々しいハボックの後ろ姿が完全に消え去ってから、取り残された三人はと言うと。
「行っちゃいましたね」
「どうするんでしょうね」
「馬鹿は放っておけ」
ブレダはファルマンを。
ファルマンはフュリーを。
フュリーはブレダを。
三者三様の複雑な視線を循環させてから、最後には皆で乾いた笑みを浮かべるしかなくなって。
「あいつ…そのストーカーが誰だか判ってんのかよ。どーやって捕まえる気だ?」
そんなブレダの呆れた呟きを合図にして、それぞれの持ち場に散っていったのだった。
「ストーカー」 アンドレイ・タルコフスキー監督・旧ソビエト
(2004.2.12 初出)
|
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||