第七の封印
「ホラ、しっかり歩いてくださいよ」
今にも雪が降り出しそうな底冷えのする、夜更けに。
何の因果で自分は泥酔状態の男を抱きかかえて歩かねばならないのか。
いくら自分より小柄とは言え、完全に自分の意志で歩くことを手放した男を引き摺ってさ迷い歩く羽目に陥ってしまったのは、
肉体的にも精神的にもきつすぎる。
「あー、もう不埒なことなんか考えませんから、起きてくださいよー大佐」
零れ落ちる泣き言と一緒に吐き出される息は白く立ち昇り、やがて儚く消えていく。
それなのに右肩に殆ど背負うようにして支えている男の体温と、決して楽だとは言えない道行きのお陰で、ハボックの身体はほっくりと温められていた。
「暖かいのはありがたいんすけど、どっちかって言うとこんなシチュエーションよりも…」
ベッドの中でふたりして温まる方が断然いい。
「飲ませすぎちまったなぁ」
自分が吐き出す白い息につられるように目線を上げれば、そこには星ひとつ見えない暗い夜空が広がり、横を向けば、
街を覆う闇よりも濃い漆黒の髪が揺れている。
その隙間から覗く青白い瞼はしっかりと閉じられて、まったく目覚める気配を見せない。
――――スケベ心が過ぎて、見事なしっぺ返しを食らっちまった。
苦く笑いながら、ハボックは自分の浅はかさを呪う。
この人の白い身体は、アルコールが入ると淡い花弁の彩りが添えられる。
その上いつもより火照った身体が、同じく熱を持ったその中に自分を誘い込む為に、艶めかしさをさらに際立たせた反応を見せてくれるのだ。
だからこそ、ふたりで過ごす冬の夜長に余裕を見せて、食事のついでに軽く飲もうとこの人を誘ったのに。
そのヨコシマな考えが禍したのか。
ハボックは最初の店選びからして、大失敗を冒してしまったのだ。
ロイ・マスタングという人は、決して小食ではない。
己の舌が美味と判断したものならば、人並みの食欲を見せて、出された料理を残すことなく味わいながら平らげる。
そしてその店に美人のウェイトレスが居ようものなら、もう一皿追加は免れない。
だが問題は、その逆も然りということだ。
気に入らないものは、例え腹の虫が鳴いていようとも口にしない。
そのことを判っていながら、馴染みの店を選ばなかったのがそもそもの敗因だったのだ。
恋の破局はいつも劇的な事柄によって迎えるわけではないのだ。
それよりも、相手をマンネリに陥らせることで終局に向かう場合が多いのだと。
何度も身を持って知らされたハボックだったからこそ、偶然通りかかった洒落た外観の店に、自分の武運を賭けて甘い夜の前菜を求めて飛び込んだ。
これでいっちょ守備固め。
けれど、そんな気持ちはテーブルに運ばれてきた牛テールのシチューを口にした途端に…吹っ飛んだ。
それに続く冬野菜のグリエも、鮭のポピエットも。
見事なまでにふたりの味覚に爆弾を投下した。
ハボックの行きあたりばったりの作戦は失敗に終わり、残されたものは口数が少なくなった上司の膨れっ面と、
見る間に嵩が減っていく赤ワインのボトル。
少量の乾き物を抓みにして、酒で空腹を満たそうとした気持ちは判るのだが。
「すきっ腹であんなに飲んじゃ駄目っすよ…それとも俺の選択ミスの罰のつもりですか?」
疑問を投げかける声に応えることなく、ただ温もりを求めて擦り付けてくる髪を愛しくひと撫でして、ハボックは酔いつぶれた身体を
もう一度しっかりと抱え直した。
「着きましたよ。シャワーも浴びずに寝ちゃうんですか、大佐?」
やっとの思いでたどり着いた部屋の明かりを点けて、小さなキッチンを通り抜けて寝室の扉を開ける。
冷えたベッドに熱い身体を丁寧に横たえた後に、成人男子の重みを手放した肩を揉み解しながら、ハボックは咥え煙草に火をつけた。
「参ったな…」
思い通りにならない酔っ払いの温もりを剥ぎ取られた身体が、暖房を入れたばかりの部屋の中でじくじくと不満を訴える。
静かな寝息のする方へ目をやれば、無防備に眠りこける肢体が無意識の誘惑を仕掛けてくる。
手を伸ばせばすぐ触れられる場所にある、第七の封印。
緩めた襟元、白いシーツに散りばめられた柔かな黒髪。
寝具に守られたその身体を身勝手に拓くことは容易いことだけれど。
「その後が怖いんだよな…」
一緒に揺れて蕩ける快楽の中であれば、結構この人はギリギリのラインまで赦してくれるのだが。
「俺ひとりだけいい思いしたことがバレたら、消し炭にされちまうかも…」
封印を解いた痕も露わなこの人が、ひとりきりの愉楽を手に入れた自分を、ただで済ませてくれるとは到底思えない。
自分を包んで絞る天国がその中にあることを知っていながら、手を出せない
黙する身体をただやさしく撫でることしかできないハボックは、重い溜め息を煙と一緒に吐き出した。
「第七の封印」 イングマール・ベルイマン監督・スウェーデン
(2004.2.2 初出)
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