NO TITLE 1(34 NO TITLE)
(この作品はオフの「バジリスク」という作品にリンクしています)


子供じみた気まぐれを起したのは、あいつが何気なく口にした一言がきっかけだった。


「あー、なんか綺麗なもんが見てぇな」
「慌てなくても、もうすぐ見られるさ」
イシュヴァール最大の砦であるエル・サルファを落とし、武装軍側の財源の大元であったイシュヴァール油田の奪還に成功した国軍の兵士達の多くは
既に、事実上の勝利に馬鹿みたいに酔いしれていた。
智将・猛将たちを温存するということをしない狂信的な敵の戦いぶりはしかし、地雷原を踏み抜き、後に続く部隊への人柱となるべく編成された
懲罰大隊や、人としての力を遥かに超えた錬金術師部隊による総攻撃という、勝つためには形振り構わない国軍側の作戦の前では、
最早大きな脅威にはならなかった。

「あとは残党狩りを待つばかりだ。それが終わればきっと――――」

ヒューズは前線から帰還できるだろう。
これから本格的に始まるであろう、イシュヴァール掃討戦の本末とも言える、あの南の実験室の【後片付け】を命じられている自分とは違い、
何も知らない彼ならば、きっとすぐに内地に帰れるはずだ。

「そんなの待てねぇ。さすがにこんな場所だから、綺麗なおねーちゃんが見てぇとか、そんな無茶は言わねーけどよ」
「ヒューズ、おまえ…」

尖らせた唇が子供みたいだと、いつもと立場を逆転させて苦笑した口元を、ロイはすぐに引き締めた。
――――せめて一分…いや、30秒でもいいから…
そう駄々をこねて、戦場から遠ざかろうと足掻く自分を宥め、軍人として胸を張って【生きろ】と言いつづけてきた彼も、
自分と同じようにこの戦いに疲れきっているのだ。
今更だった。皆が皆、この大義名分さえ消え去った戦いに従事することに疲れ果てていた。

「ロイ?」

急に押し黙り、テントの出入り口に足を向けたロイの行動を不審に思ったヒューズが、白いシャツに包まれた背中に声を掛ける。
入り口の右側に引っ掛けてある無線機を指で軽く弾いてから、ロイは素早く頭だけを外に出して、テント周辺を見渡した。
キャノピーに落ちる日差しはまだ強い。
だが、直にやってくる夕刻を迎えれば、この強い光を投げかけてくる太陽も、西に遠く見える山の彼方にあっという間に落ちていく。
今なら大丈夫だろう、きっと。

「ヒューズ、ちょっと来い」
「なんだ?」

怪訝な表情で自分を見つめるヒューズに、にやりと笑みを返してロイが手招きをする。

「なーんか、ヤな予感がするんですけど…」

その笑顔に用心しつつも、腰掛けていたミリタリーチェアからヒューズはゆらりと立ち上がる。

「綺麗なものが見たいんだろう?」

自分達が前線に送りこまれてすぐに、わずかに残っていたオアシスは完全に消え去った。
遮るものがほぼ皆無と言ってもよい、輝く小さな石粒を撒き散らかしたような星空も、錬金術がもたらしたたび重なる気圧の変化によって、
その姿を隠してしまった。
その最たる原因を作った自分が、綺麗なものを見たいと望むヒューズに、一体どれほどのものを見せることが出来るのか。
それを思うと、胸の中につかえるシコリが疼く。
だが、放って置けば自棄に走りたがるその思いを乗り越えて、強く強く、自分は願う。

「ついて来い。おまえが気に入るかどうか、そこまでは保障できないが」

彼の望むことをしてやりたいと、そう願う力が唯一、この地に在る自分を奮い立たせるのだ。



ロイがヒューズを伴ってやって来たのは、キャンプ地から僅かに外れた場所にひっそりと残された、医療施設の廃墟だった。
厳しい日差しを避けるために羽織った薄手のフードつきコートを着込んだまま、二人は夕刻の溶けるオレンジの光に照らされたその廃墟に
足を踏み入れた。
窓ガラスは悉く破られ、カーテンの一枚もかかっていないこの二階建ての建物は、ロイの気に入りの隠れ家でもあったが、
地獄のような灼熱の日差しを遮るものが皆無な場所ゆえに、身を隠す時間が限られていた。

「知ってるか。ここは衛生部のノックス先生もよく足を運んでいるんだぜ」
「本当か?」
「おお、本当だぞ。それを知らないってことは、まだあのオヤジと出くわしたことねぇってことだな」
「ああ。ありがたいことにな」

砕かれた細かいガラスの欠片を、硬い鉄の板の入った軍靴でさらに踏み砕きながら、ふたりは見知らぬ場所を探検する子供のような遠慮の無さで、
建物の奥へと侵入していく。

「ここに潜んでられるのは、正味、午前の一時間ほどと、夕刻から日の入りまでの僅かな時間しかねーんだろ。
それなのに、まだ出くわしたことないなんて、おまえ達よっぽど縁がねぇんだろうな」

屈託なく笑いながら、自分の後ろをついてくるヒューズに隠れて、ロイはひっそりと重いため息をひとつ吐き出した。


この秘密の場所は、ロイにとっても、ノックスにとっても、聖域に等しい場所だった。
ヒューズのあずかり知らぬ場所で、自分は何度もあの科学調査部出身の強面の男と邂逅しているという事実は今となっては消しようがなかった。
ヒューズとロイとはまた違う意味での、切れない絆がノックスとロイを結んでいた。

誰からも見捨てられ、これ以上もなく荒れ果てたこの廃墟が崩れ落ちるその日まで、自分とノックスはこの場所に執着し続けて生きていくのだろう。
あらゆる場所を覆いつくすガラス屑の乾いた音を、血やその他の体液で汚れた戦場とは無縁の、清潔なものと錯覚してしまう自分と同じ罠に、
ノックスも足を絡め取られているのかもしれないと、ロイはここに居ない共犯者に思いを馳せた。



(2005.11.05 2へ続く)


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