THE NIGHT PORTER (11)


ゴクリと飲み下す唾液の甘さに我ながら愕然とする。
それはブラッドレイの手で施された錬成陣の毒が、早くも皮膚を食い破り、全身を駆け巡り出している証拠だった。


「私は君の貪欲な目が好きなのだよ。夢よりも美味なものを選別できる目をしている。
なのに、その美味を眺めるだけで手を伸ばさない。まさかそれを美徳と思っているのではあるまい?」
長年の親友に邪な恋心を抱き、その想いを捨てられないまま、権力者の慰み者という立場を受け入れている自分の中に、
今更美徳の欠片が残っているはずもない。
うずうずと暴れまわる機会を狙っている二匹の蛇を腹の上に乗せていることを暫しの間忘れて、ロイは自嘲の笑みを唇の端に浮かべた。

「親友の運命の糸をその指に絡めているというのに、まだ笑えるとは大したものだ」
しかしその哀しい笑いさえ、ブラッドレイを愉しませる演出のひとつにしかならなかった。
腹の底から楽しそうに目を細めたブラッドレイに向けて、嫌悪の眼差しを返したところで、この戦局になんの影響も与えはしない。
「野心を取るか、恋を取るか。それともその両方をその手に握るのか…君はどれを選択するのかね?」
手綱はまだ強く握られたままだ。
それでも理解できないのは。

「閣下、何故です…?」
まだ膝立ちを解いていない自分の目の前に、スクリと立ちはだかっているこの強壮な男が、どこまでこの胸の内を読み取っているのかは判らない。
だが、まだ憶測だけとはいえ、ブラッドレイが現在進行形で歩み続ける覇道に、取って代わることを狙う自分を薄々そうと知りながら
これほど側近く置く、その思惑が。

「貴方は私におっしゃったではありませんか。【まだ自分にはやらねばならないことがある】と」
閨事の折りの戯れで、この男がそんな言葉を軽々しく口にするわけがない。
ただ可愛がるだけの愛玩動物として侍らすのなら、他に相応しい存在は山ほどいる。
寝首を掻かれる心配がある山猫と、護衛のひとりもつけずに民間のホテルの一室に篭るという軽はずみな行いを続ける意味がどこにあるのか。

まるで恋に溺れて、それ以外を都合よく、目を閉ざす愚者のような。

――――まさか、そんな。

それこそあり得ない話だ。
抱かれるたびにその体温に違和感を覚えるこの男が、自分と同じように歯車を狂わせかねない、捩れた恋心を自分に抱いているなどということは。


「だから何だと言うのだね?」
穏やかな声は変わることなく、男はただ事務的に返事を返してくるだけだ。
そこに慈しみという情は見られず、怒りという激情さえ含まれてはいない。
人間が抱えているものを軽く超越しているように思える、ブラッドレイの感情の起伏の無さに、ロイは再び戦慄した。

「この首はそんなに安くはない。今の君ごときに…私は倒せんよ」
「閣下…」
喘ぐ息と共に、下腹で赤い蛇たちが蠢きだす。
「私の跡を継ぐというのなら、この国のすべてをその手に収める覚悟を決めなければならぬ」
今まで以上にその手を血に染めて、切なく求めてやまない者の幸せをも握りつぶして。

「なぜ、そのような―――国民の全てが寝食に困らず、争いも…」
「笑止千万」
まだ青いばかりの理想は、頭から否定される。
「若者が抱きがちな高潔な理想だが、この国にはどうやっても根付かんものだ」
あくまでも柔らかく微笑みながら言い切る男の足元に跪いたまま、ロイは俯いて唇を噛み締めた。


すでにこの場所には、ブラッドレイと自分のふたりしか存在しなかった。
若いポーターはおろか、世界の中でただ一人、人の形を借りた残酷な獣の前に放り出されたような心細さに、声さえも凍りつく。

「なに。そんなに打ちひしがれることはないぞ、マスタング中佐。君はまだ若い。君の才能に非情さを加えることが出来たなら、
さぞや私を脅かす存在になるだろう」
宥めるように、慈しむように、ブラッドレイは手を差し伸べて、項垂れている黒髪をさらりと撫でた。

「今夜はその為の最初の儀式だ。さあ、喉からてがでるほど欲しい者の名を、その唇で」
「……ヒ…ぅ…」
戸惑いながら、それでも助けを請うように小さな声が聞こえたのと同時に、ロイの上半身に描かれた血の錬成陣が仄白く光り出す不可思議な光景を、
息を潜めながら二人のやり取りを見守っていたポーターは、やはり声もなく見つめ続けた。


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