みつばちのささやき


子供の強引さは、その会話の中にも顕著に現われた。
あちらこちらをつまみ食いするように気侭に移り変わる話題は、それでも破綻を見せない淀みの無さでロイを楽しませてくれるのだから、
仕事の片手間のBGM代わりにしてしまうには勿体無さすぎる。
お目付け役のホークアイ中尉が座を空けていることを幸いに、ロイは久々に会うエルリック兄弟の話に腰を落ち着けて付き合おうと、
デスクの上にたんまりと積まれた未処理の書類から早々に意識を放り投げてしまった。

「少し待っていたまえ」

旅の途中の宿り木であるかのように執務室のソファーに沈むエドワードとアルフォンスを残して、ロイは自前で持ち込んでいたオータムナルのお茶を
手ずから煎れる為にしばしの間席を外した。

だから。
緑がかった茶葉の浮くポットとふたつのティーカップをトレイに乗せて、ロイが再び兄弟の前に姿を現したときから始まったその話題が、
どこから繋がって導き出されてきたものか、知る由はない。それはロイが初めて耳にする、今よりも幼い兄弟のエピソードのひとつだった。



「俺たちが燃やしちまったリゼンブールの家の前に、でっかいミツバチの巣があったんだ…覚えてるだろ、アル?」

尖らせた唇で湯気を払いながら紅茶をひと啜りしたエドワードが、熱を感知しない鋼の掌にカップを包んだまま唐突に喋り出す。

「うん。忘れろって言われたって忘れられないよ…よく追い回されたもんね、あいつらに」

兄と共有する過去の出来事に相槌を打つアルフォンスの声が、なぜかひどく大人びて聞こえたことに軽く戸惑って、
ロイは自分の前に並んで座る兄弟に隠すことなく眉間にしわを寄せた。
だが、エドワードはそんなロイを気に掛ける素振りも見せずに、どんどんと会話を進めていこうとする。

「俺って今でもそうだけど、小さい頃から無鉄砲でさ…」
「小さい頃って…鋼の、君はまだ充分に小さいだろう?」
「るせー、このヘボ大佐!人が機嫌良く話しをしてる途中に余計なツッコミを入れんな!」
「ははは、すまない鋼の。話の腰を折るつもりはなかったんだ、続けてくれたまえ」

互いに想い出の中を覗き込む兄弟に、ロイはなぜか嫉妬めいた気持ちが込み上げて、大人げなくエドワードが一番嫌がる言い方で茶々を入れた。
するといつもと変わらぬ激烈な反応。
それに心の底からの安堵の笑みを浮かべて、ロイは自らが中断させたエドワードの会話の続きを促した。


「ある年の夏に」

まだ憮然とした表情を崩しはしないものの、エドワードはリゼンブールの思い出の続きを再び語りだす。

「いつも俺たちを苛めてくれる奴らに仕返ししようとして、俺はその巣を落とそうと竿を片手にその木の下に立ったんだ」
「ホントに兄さんは昔から無茶ばかりしてさ。でも、あの時の兄さんの格好ったら…」

厳めしい鎧の身体を細かく震わせながら、アルフォンスは小さな夏の出来事の中の兄に向かって笑いかける。

「目の部分だけをくりぬいた紙袋を頭に被って、手足には奴らの針が通らないように包帯を厚くぐるぐる捲きにして」
「ただでさえ暑い日だったのに、そんなことしてたから着ていたTシャツなんてあっという間に汗まみれになってたよね」

甘やかな少年たちの声が奏でる会話に、さすがにロイも観念するしかなくなって。
漸く好みの温度にまで下がった紅茶を口に含んだまま口角を上げ、兄弟の会話にロイは静かに耳を傾ける。

「そんでいい気になって竿で巣を突つきまくってやったら、いきなりイヤな羽音をさせて這い出てきた大軍が俺めがけて襲い掛かってきやがってさ」
「僕、兄さんに離れてるように言われてたんだけど、遠目に見てもかなりヤバイ状態だった」
「ああ、本当にやばかったさ。包帯の薄い部分を狙ったように刺してくるんだぜ?おまえが居なかったら…」

記憶が巻きもどす痛みを。
受け取ったかのように、鋼の腕がぴくりと動く。

「おまえが俺の手をひいて家の中に逃げ込んでくれなかったら、俺、あのままあいつらに刺し殺されてたかもしれない」

うなり続ける羽音の中に閉じ込められて、ただ為す術も無く。

「おまえが俺を助けてくれた」

そう言ったそばから、エドワードは自分の隣に座る弟の、冷たい鈍色に光る鎧の肩に視線を落とした。
きっとそこには。
真理に攫われた生身のアルフォンスの右肩には、兄を救い出した時に自分も負った瑕痕が残っていたのだろう。
弟を見つめるエドの、勝ち気さが宿る金の瞳が優しい蜂蜜色に変化していく様を、ロイはただ無言で見守った。

その優しくて切ない眼差しを、確かに自分も受け取っていたのだ。
彼らの倍の時を生きてきた中で、随所に散りばめられていたであろう、その眼差し。
だが、いま自分が思い出せるのはたったひとつのそれしかなくて。

「鋼の…。見失うなよ」

自らに言い聞かすような声に呼ばれた鋼の腕を持つ少年の、瞬時にして別の色に燃え上がった視線にロイは射抜かれる。

「判ってるよ、んなこたぁ。で、大佐…あんたはどうすんの?」

失ったものに縋って、夢の中で生きるのか。
失ったものを強さに換えて、歩き続けるのか。
子供の容赦の無さで問い掛けられる二者択一に、ロイは呆然と立ち尽くした。

今のロイがあの日の電話回線の向こうから聞き取ることが出来るものは、みつばちの羽音にも似た沈黙だけだった。



『みつばちのささやき』 ビクトル・エリセ監督・スペイン

(2004.2.8 初出)  


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