その中に映るのは、ツルリと淫らな薄皮を脱いだ、不機嫌に疲れを漂わせた自分の姿だった。

ジャン・ハボックと一夜を過ごした次の日には、決ってロイ・マスタングは寝室の片隅に掲げられた姿見の前に立つことになる。
伊達男を気取る割りには、寝起きのあまりよくないロイのいつもの朝は慌ただしく、グラスになみなみと注いだ牛乳で喉を湿らせながら、
せいぜいがせめてもの身だしなみといった感で寝癖のチェックをするぐらいが関の山だった。
だが、朝に滅法強い男と同じシーツに包まれて目覚めた日には、それだけでは済ませることのできない問題が発生するのだ。

「…っ。こんなとこに痕をつけやがって」

身体中に点々と散らされた薄紅色が、早朝の柔らかな光の中に浮かび上がる。
それをひとつづつ確かめる度に、舌打ちと共に吐き出される低い文句をこの鏡は何度聞かされたことだろう。
高い襟の軍服で隠せない痕をつけられたことは殆ど無いけれど、それでも何度となく身体を絡ませ合い、失墜するように眠りについた翌朝には、
短い髪の毛ではとうてい隠すことの出来ない場所に、弾け飛んだ男の理性を示す小さな痕を見つけることがままあった。
耳朶の下の滑らかな場所や、仰け反った首筋の日の当たらない部分とか―――――。
司令官たるロイ自身も認める、軍と名のつく場所にしては破格の砕けた職場であったとしても、昨夜の情事を引き摺っての出勤などもっての外だ。

真正面に残された、逃げ隠れすることの出来ない花弁を映し出すだけでは飽き足らず、ロイは鏡の前で身体を捻ったり、
だるさの残る腕を上げたり下げたり執念深く繰り返して、ひっそりと人目を忍ぶようにつけられた薄紅を探し出すことに精を出す。
その姿は何かの遊びに夢中になっている幼子の無心さを思わせて。


「何やってるんっすか?」

たっぷりその姿を堪能した後に、耐え切れなかった笑みを零しながらハボックが声をかけた。
朝食の用意をする為にキッチンに消えたはずの男が、寝室の扉に長身を預けてこちらを見つめていることに気がついたロイは、
悪びれることなく鋭い視線をそのにやけた顔に流し遣る。

「笑うな。誰のせいだと思ってるんだ?」
「すんません。でも、それって俺の愛の証ですから」

見せ付ける為の深い溜め息をついたあとに、ロイは右腕をグイッと上げて、二の腕の裏の白い柔かな部分を、
少し離れた場所から見守り続けているハボックに曝して見せた。

「こんな場所にまで痕をつけてどういうつもりだ?」

淡い体毛の翳りが淫靡に覗く脇から肘までを、埋め尽くすように残された紅色は。
ひとつに纏めた手首を散らした黒髪の上で押さえ付け、ふたつの身体を受け止めたベッドを覆うリネンと同じ白さの腕に目を奪われて、
感極まった末に堪らずつけたものだった。
乱れ咲く赤い花が蘇らせる記憶が、ハボックの胸にトクンと朝にあるまじき情の雫を落とす。
数時間前に貪った肉の甘さに舌なめずりさえしかねない、際限の無いの欲。
それに挑戦するかのように、ハボックは大きな姿見の前で無自覚に自分を誘うロイの傍に歩み寄った。

「つい夢中になっちまうんですよ。でも、明るい場所で見ると堪んないっすね…」
「堪らないのはこっちだ。隠せる場所だからといってこれはやり過ぎだろう」

まだ気持ちが治まらないのか、薄く筋が浮いた腕を上げたままの自分のすぐ後ろまでのこのことやって来たハボックを、ロイは鏡越しに睨み付けた。
起きるとすぐに厚い遮光カーテンを引いて、満足げに、それでもどこか疲れを除かせる白い横顔を見せて眠り続ける上司の覚醒を手伝ってやるのも
ハボックの役目だった。
窓を覆うレース地を通り抜け、部屋中を満たす光を纏った二対の裸身。

「それにしても…ハボック。おまえは上半身裸のままで料理をするのか?」
「いや、今日はなんとなく…。着る物を探すのも面倒だったから」

頭を掻きながらしどろもどろに答える言い訳の最中でさえ、ハボックは鏡の中に映るロイの肢体から視線を外そうとはしない。
それどころか、漸く下ろす気配を見せたロイの右腕の軌跡をなぞるようにして、ハボックは鏡の中のロイに寄り添う影のごとく、
右腕をゆっくりと持ち上げたのだ。

肌は、合わせてはいない。
けれど、鏡の中のふたりは重なりあって。

腕を下げれば、後に控える逞しい腕がそれと同じ動作をなぞり、髪を掻きあげれば、金の髪がパサリと背後で音を立てて乱される。
追い続けるハボックの視線の先にあるのは自分の肉体だ。
視姦されるのとなんら変わらない、熱く焦がれる眼差しに絡み取られたロイの肌が慄く。

「ハボック…ッ!」

視線に犯された皮膚が熱く燃え上がるのを隠すことも出来ずに、堪えきれず振り返った先には。
指一本触れることなく鏡の中のロイを追い上げた意地の悪い瞳の色は消え失せ、代りに困り果てた青い目が生身のロイを受け止めた。

「何をふざけている、ハボック?」
「ふざけた訳じゃないんすけど…つい…」

再び口篭もりながら頭を掻くハボックの顔がほんのり赤らんでいるのは、ロイと同じく持て余す熱を自らが抱え込んでしまったせいだ。
しかし、睦みあうには朝はあまりにも短すぎる。

「えっと…取り敢えず、飯食いませんか?」

あれほど貪ったにも関わらず、未だせり上がろうとするものを、食欲に擦りかえる為に。
ハボックは床に散らばった衣服の中から白いシャツを拾い上げ、ダイニングに向けて無言で歩き出したロイの肩に着せ掛けた。



「鏡」アンドレイ・タルコフスキー監督・旧ソ連


(2004.3.15)  


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