夜の果ての旅(ハボロイ)


「まぁまぁ、こんな雪の中を!寒かったでしょう、すぐに温かいお飲み物をお持ちしますから、ストーブの傍でお待ちくださいね」

優しい窓辺の灯火を頼りに、ようやくたどり着いたペンションのロビーでロイとハボックを迎えてくれたのは、老境に差し掛かった夫婦者だった。
風の音と共に扉を開けて入って来た二人の青年の、新雪に塗れた肩と、重い水分を含んだ帽子と髪、寒さのせいで紫色に変わった唇、
そんな悲惨な身なりを素早く見取り、善良な彼らはそれぞれのするべき仕事をこなす為に、散り散りとなって駆けていった。


「すみません、予約もせずにお邪魔してしまって」
「いいんですよ。今の時期はいつも暇ですから、お客様は大歓迎ですよ」

感じの良い笑顔が福々しい女将から受け取ったマグカップの中には、カフェ・オ・レがたっぷりと注がれていた。
湯気を吹き上げながら、それを一口含んでささやかな暖を取ったあとのロイは、ここにたどり着いた時の哀れなほどに憔悴した姿とはうって変わって、
滑らかな頬にほのかな赤みを上らせた艶やかな男ぶりを取り戻している。
その上、いくつになっても女は女と弁えているのか、自分に見とれている女将に、真っ先に礼を告げることも忘れはしなかった。
そんなロイを大したものだと見つめながら、ハボックは笑いを噛み殺しながら、再びマグカップに口を付ける。

「それにしても、お若い方たちがこの時期にここを訪れるなんて、本当に珍しいことですわ。お二人とも、セントラルからお見えになられたのかしら?」
「ええ、そうです」
「ここから二駅先の町は、温泉もあればウィンタースポーツの施設も揃っているんですけれど、ここら辺は生憎と、
凍った湖と雑木林くらいしかないんですよ」
「そうなんですか」

そんなことを申し訳なさげに語る女将に、適当に相槌を打ったものの、ふたりの思惑は最初からそこにあったのだから、
愛想のない町の景色や整わない設備に関して、文句を言うつもりはハナから無い。
出来るだけ人の少ない場所で、ふたりきりの時間を過ごす。
ただそれだけを目的にして来た、二日間の短い旅。
けれど、そんな二人を待ち受けていたのは、思いがけない落とし穴だった。


ロイとハボックが、揃って休暇届を申請したのは、一週間前のこと。
ダメ元で打診した休暇が取れたことは、幸運だったとしか言いようが無かったが、ただでさえ忙しい職場を二日間とは言え放り出していく代償として
数日間を鬼のように働かなければならなかった。

旅のプランや宿泊先のこと、そんな諸々の打ち合わせをする時間も余裕も無く迎えた当日。

『北へ行く。出来るだけ何も無い場所がいい』

スキー場も、温泉も、何もなくてもいいから。
そう宣言して、ロイはハボックに時間表と地図を差し出したのだ。

『えー!スキーはまだまだ出来ない身体だからいいっすけど、寒いところに行くのに湯治も無しって・・・』

ブツクサと文句を言ったところで、一度言い出したら聞かない上司に勝ち目は無く、ハボックは差し出された地図を広げながら、
観光名所や自然の恩恵に恵まれなかった北の地を、探す破目になったのだ。


『あ、ココなんてどうスか?』

それでも最初からなんとなく、ロイの真意を感じ取っていたハボックが、出来るだけ彼の望みに沿えるようにと選んだ場所は、
夏には避暑地として利用される、町の大半が水に覆われた場所だった。

『夏場には繁盛する場所だから、宿泊施設は豊富でしょ?行ったはいいけど、泊まる場所がなけりゃ困りますから』

その地を選んだ最もな理由を告げるハボックに、珍しく最初からロイも賛同して、北へ向かう汽車に乗り込み、
最寄り駅に着いたところまでは順調だったのだが。


『ここもダメっす!!』
『なんだと!これで四件目じゃないか』

彼らが、この旅で最大の過ちを犯したことを気づいたのは、昼を大きく過ぎた頃のことだった。

一件二件なら、まだ笑って済ますことが出来ただろう。
しかし、連続四件となると、嘆きの声のひとつもあげたくなる。

『ふぅ、こんな落とし穴があったとは気づきませんでした…』

避暑という名の元に作られた宿泊施設の殆どが、お役ごめんとなる冬季には閉鎖状態となっていたのだ。



「それにしても、こちらのペンションが営業されていたお陰で、私たちは命拾いをしましたよ」
「ま、それはオーバーですよ」
「いえ、そんなことは無いです。こちらを探し当てることが出来なければ、こいつとふたりで雪の中に埋まってあの世逝きだったに違いありません」

思いがけずロイから指をさされて、胸がトクンと波打つ。
ペンションの女将に向けて語られるロイの言葉は、決してオーバーなものでは無かった。

――――軍隊暮らしもそれなりの年数に上るふたりが、無様にもこんな長閑な場所で死に至るなんて。

雨だけでなく、雪の中でも可愛らしくなってしまう想い人が、そう言いながら焦る姿を見つめる自分は、確かにその時幸福に酔いしれていたのだ。
雪に足を取られ、悪戦苦闘している人は、まだその野心の途上を行く身で、自分はと言えば、一度は諦めかけた彼の背中に着いていくという誓いを
取り戻したばかりだ。

それなのに恋という熱情は、人を簡単に矛盾という名の海原に追い落とす。
積雪の純白が、ふたりを閉じ込めてしまうイメージに、ハボックは目を細めながら、新しい煙草のパッケージのフィルムを剥がした。



「はー、漸く一息つけますね…」

女将の手製のソーセージや、家庭菜園で作ったという野菜を使ったポトフとライ麦パンの慎ましやかな夕食をとったあとに、
ロイとハボックはそれぞれのくちた腹と、満ち足りた気持ちを抱えながら、主人が大急ぎで整えてくれた客室へ辞して行った、

「そうだな。旅の一日目は少し強行軍すぎたようだな」

少ない荷物を質素なデスクの上に預けてから、ふたりはふたつ並んだシングルベッドのそれぞれに腰をかけた。

「疲れたでしょ、大佐。先に風呂…入ります?」
「食べ物で温まったとはいえ、まだまだ身体の芯は冷えたままだからな。おまえはどうする?」
「俺もまだ寒いっす。なんならふたりで風呂使いますか?」
「バカかおまえ。あの風呂のサイズで、おまえみたいな大男と私がいっぺんに入れる訳ないだろう?」
「あはは、確かにそうっすね」

通されてすぐに部屋のチェックをした。
小さなペンションに釣り合った、ツインにしては少し狭い部屋に備えられたバスルームには、スタンダードサイズのバスタブと
せいぜいがひとり分の洗い場しかたくわえておらず、大の男が二人で入るには手狭すぎた。

「寒いのなら、おまえが先に入るか?」

それは最近になって、ようやく傷に湯をあてることを許された身には、ありがたい申し出ではあったが。

「いえ、いいっす」
「それなら、私が先に風呂を使わせてもらうぞ」
「…やっぱり、それもイヤっす」

単純な二者択一をハボックはふたつともキッパリと拒否して、座っていたベッドから立ち上がった。

「それでは、どうすればいいんだ…ハボック?」

動じることなく、見上げてくる黒い瞳に眩暈がする。
この世の果てのような、白一色に覆われた場所で、今更心に色を塗って繕っても仕様が無いと、ハボックは観念した笑顔をロイに向かって投げかけた。

「離れたくないんです。もう二度と…アンタから」


もう二度と、この人を自分の腕に抱くことは出来ないと思っていた。
それがどんなに口惜しかったか、それをどうしても知って欲しかった。

「風呂より先に、アンタの温度を確かめたい」
「えらく情熱的だな、ハボック」
「好きな人と部屋ン中でふたりきりなんですよ。俺、禁欲生活長かったんですから、もう限界ギリギリなんです」

正直すぎるその告白に、視線をそらさずハボックを見上げるロイの瞳が僅かに見開かれる。

「触っていいっすか?」

伸ばした手が寸前で止まった場所は、ハボックを見上げるために反らされた、白い喉元。

「好きにしろ」

すぐに余裕を取り戻して、笑みをこぼす口元が憎らしい。

「じゃあ、他の場所も?」

長い首を覆うように手を掛ければ、じんわりと沁みてくる体温に欲望が煽られる。

「例えば、どこだ?」
「……ここ、とか」
「こら、ルール違反だ。答える前に触る奴があるか」

そう説きながら、それでも楽しそうにクスクス笑う姿を乱してみたくて、再度ルール違反を犯す。

「ん…っ、ハボック!」

形のよい鎖骨から、シャツ越しに胸をなぞれば、指先に感じた小さな違和感と共に、堪え切れなかった切ない声があがる。

「相変わらず、ココ弱いんですね」

柔らかな突起をかすめた人差し指をペロリと舐め上げてから、まだベッドに腰掛けた姿のままのロイのシャツの前建てに、ハボックは手を掛けた。

「そこ、気持ち良かったんでしょ?俺も触って気持ちよかったっすよ?」

最初から駆け引きを捨てた素直さで、素肌に忍び込もうとするハボックの指に、ロイの喉が鳴る。

「猫みたいだ…もう一度撫でたらアンタももう一度鳴いてくれる?」

床に片膝をついて、漸くロイの視線の同一線上に、ハボックは自分の顔を寄せた。

「ホラ、ここですよ?」
「う…ふ…っ」

余裕を装う口調とは裏腹な、緊張で冷えた指先がロイの胸の突起を摘む。
弾いて、そして潰して、その度にしこりのように硬くなっていく胸の花の感触と、徐々に快楽に染まりながらビクリと身を竦ませるロイの、
まだ清楚に開ききらない媚態。

「アンタ、最高だ…」

桃色に染まりつつある耳たぶに唇を寄せて囁きながら、ハボックはロイの身体をきゅうきゅうと抱きしめた。



「くっ…ふ…」
「声、我慢しなくていいっすよ?」

我慢している姿を見ると、余計に止まらなくなるってことを、彼はわかっているのだろうか?

「いや…だ」
「何がイヤなんです?」

ハボックの指が、唇が、舌が、ロイの性感に触れるたびに、微かな吐息が洩れる。
しかし、彼はそれさえ厭うような仕草で、自分の口に手をやりながら、快楽を訴える声を抑えようとするのだ。

「これでも…いや?」

ベッドの上に仰向けに倒れこんでいるロイの身体は、その上に覆いかぶさっているハボックの技巧で、すでに昂ぶり、上り詰める寸前だと言うのに。
崩れない。
この快楽に対しての頑なさが、いっそ哀れな気がするほどに。

「なんで…?アンタ、気持ちよくなってもいいんだよ?」

ビクビクと震える身体の隅々に、唇を落とす合間に囁いても、それがもう馴染んでしまっているのか、
噛み殺す喘ぎ声しかロイの唇からは洩れてはこない。

「旅はまだ明日も続くんです…。そんなに我慢してたらツライっしょ?舐めてあげるから、もっと素直になってよ」

もう何度そう囁いてきたか判らない。
この手に堕ちてきてくれただけで、満足しなければならないと思ったこともあったけれど、それでも。

「あ…っ…ハボ…」

張り詰めた下肢の実りに舌を伸ばされて、小さく波打って逃れようとする身体を強く捕まえながら、
今度はハボックはその長さいっぱいを口腔に咥えこんだ。

「や…ぁは…」

唇に微妙な強弱をつけてロイを締め付けると、今まで以上にしなやかに身をのけぞらせるのに。

「駄目だ…ハボ…ク……今夜は…おま…え、ああ…っ!」

遂情にさえ、ロイは否定を告げた。



「なんで、アンタ…そんなに頑ななんすか?」

吐き出した快楽に全身を戦慄かせ、ロイは濡れた瞳を拭うこともせずに、ハボックを睨みつけながら、その問いに対する答えを叫んだ。

「バカ者!今夜はおまえを先に気持ちよくさせてやりたかったのに!」
「は…?」
「なんの為の旅だと思っているのだ、おまえは!」

悦楽に濡れた肌と乱れた息の合間に怒り叫ばれても、恐ろしいことなど何一つなく、それどころか再び押さえつけてその真意を聞きたいとまで、
ハボックは思ったのだが。

「俺はこの旅の中で、大佐にもう一度誓いたかったんです。もう一度、一緒に歩かせてくださいって」

しかし、自分にはロイに渡すものはその誓いしかなく、それはもう隠す必要のないことで。

「俺はアンタともう一度歩いて行けるでしょうか?」

あとは審判を待つだけなのだ。
ロイの真意を聞き質すのは、その審判を聞いてからでいいと、目を閉じてその愛しい声を待つ。

「ハボック…まだ判らないか?おまえはもうとっくに私に選ばれていることを」

待ちわびた声は、少しだけ呆れていたような気がしたけれど、それでもその宣告は、自分が聞きたいと待ち望んでいたものに違いはなさそうだと、
おそるおそるハボックはその青い目を開けた。

「おまえはその二本の足で、私の元へ帰ってきてくれた」

―――この旅は、そのおまえの気持ちに報いるための旅。

「じゃ、まだまだ終わらないワケっすね?」
「そうだ。まだまだ前途多難な旅だ。着いてくるか?」
「あったりまえでしょ?」


 そしていつまでも傍にいて、あなたに変わらぬ忠誠を。



(2005.02ハボロイオンリーコピー誌より)


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