赤色エレジー(122 背)


『あなたの口からさよならは、言えないことと思ってた』


むかしむかし、あの子供たちが暮らしていた場所は、絵に描いたような田舎の小さな村だった。
でも、本当はそんなに昔というワケじゃない。
それなのに、気づけばこんな遠い場所にたどり着いてしまっていた。

「リゼンブールは良い場所だったな」
「そう?何もねぇ村だったけどな。なんで急にそんな話になるんだよ?」

彼がリゼンブールの何を知っているというのか、そんなことは知らない。
確かに四季の移り変わる様の美しい、自然に恵まれた村だったが、その半面、利便性というものからは完全に見放された、
時の流れが止まったような場所だった。

「それよかアンタ、リゼンブールの良さが語れるほど、あそこに滞在してたことあんの?」
「いや。君たち兄弟をスカウトしに行った、あの時だけだが?」

予想を裏切ることのないロイの、肩の力が抜けるような答えだった。
だから自分も表情を隠すことはしない。彼に対してそんなことをしても仕方が無いからだ。

「相変わらずいい加減だよな、あんた。仕事でたった一度行っただけなのに、どこを見て"良い場所"だなんて言えるんだよ」

すわり心地の良い、東方司令部指揮官の執務室のソファーに、そのまま埋もれてしまいそうな小さな身体を倒して、エドはさも面白くなさそうに、
大きな机の上に乗っかった書類の束に視線を落としたままのロイに文句を言った。
それは自分も同じだった。
仰向けになった視線は高い天井に吸い込まれ、会話を交わしている人物の姿を見つめることはない。

「一度行けば充分じゃないか。一目見て気に入ったから良い場所だったと言ってるんだよ。人間にしても第一印象は大切だろう?」
「あー、そだね。そう言えば思い出したよ。アンタの第一印象、最悪だった」

先ほどから微かに聞こえてくる書類を捲る音は、どんな憎まれ口を吐き出しても変わらず単調なもので、そこに感情の乱れを見出すことは出来ない。
そんなことは、最初から期待していない。
自分を、自分達兄弟を、あの田舎から引きずり出す手立てを教えてくれたこの男のことを、
自分は決して口で言うほど嫌っているわけではないはずなのに、それでも。

「そうだったのか。それは知らなかったな。で、今は第一印象より少しはレベルアップしているかね?」
「…残念。相変わらずだよ」

それ以上の感情を、不思議なことにいつも胸の中から引きずり出せずにいるのだ。
嫌いとか、好きとか。
愛しているとか、憎んでいるとか。
そんな激しい感情は、今ではたったひとつの存在だけにしか感じることが出来ないのだ。

「そうか。それは本当に残念だな。実を言うと、私は君のことがかなり気に入っているから、出来れば好かれたいと思っているのだが」
「そりゃあ悪かったね。でも、天変地異が来たとしてもアンタを気に入る日は来ないから、すっぱりと諦めな」

きっと持ち出してくるのを忘れてしまったのだ、あれ以外を。
あの田舎の村から。自らが放った炎の中から。
あの日から、自分にとって大切なものは、たったひとつだけになってしまった。

「そうか。それは本当に残念だ、鋼の」

殊勝な発言に控えめに被さるのは、やはり先ほどから止むことの無い書類の束を捲る音。
乾いた紙の擦れる音を聞きながらそのリズムに合わせて、エドは執務室の天井をところどころ飾っている薄い小さなシミの数を数え出す。
ひとつ、ふたつ、みっつ―――

「鋼の。提出物は確かに預かった。弟が待っているのだろう?もう帰ってはどうだね」
「ああ、言われなくてもそうするよ」

―――よっつ、いつつ、むっつ。
目に留める全てを数えきったあとに、ふと機械鎧の右腕を天に向けて振りかざす。
この腕がまだ生身だった頃には、大好きなもの、大切なものが沢山この世に満ち溢れていた。
そのことはまだ憶えているし、きっと、忘れることは無いだろう。

「ああ、そうだ、鋼の。前から聞きたかったのだが、君のその鎧の腕は重くはないのか?」

漸く途切れた紙の音。
それに代わって響くロイの質問と共に、エドは転がっていたソファーからひょいと身を起こした。

「別に。もう慣れたしな」
「そうか。それなら良かった。ところで鋼の、もうひとつだけ聞きたいのだが」
「なに?」

気がつけば、ロイを訪ねて司令部内に赴いた時には晴れていた空が、互いを押し合う灰色の雲に覆われていた。
この分ではひと雨来るかもしれない。

「君は、私にもその機械鎧の重さを耐えることが出来ると思うかね?」
「…そんなこと、俺が知るわけないだろ。アンタの気持ち次第じゃねーの?」

大きなデスクの上に肘を預け、頬杖をつくロイの姿を通り越して、エドは遠雷が微かに唸る音が聞こえてくる窓辺に視線を向けた。
不意打ちのように降り出す雨は、自分の好むものではない。
叩きつけてくる水滴の重みで、背中に張り付いてくる赤いマントの感触が嫌いだからだ。
自分の目で確認できない重みを背負わされることなどまっぴらだった。

「俺もう帰るわ。雨も降ってきそうだし」
「そうだな…そうしたまえ。またいつでも訪ねておいで、鋼の」

再び聞こえてきた紙の束を捲る音を背後に聞きながら、エドは重い扉を開けて、無言のまま執務室を後にした。
そう言えば、自分は唯一を選んだがために、あの炎の中に放り込んだもの達に、口に出して別れの言葉を告げたことがあっただろうか。
そして、キリのつかない書類の山と今も格闘している、あの黒い髪の大佐も、何かを選んだが故に沢山のものを切り捨てたのだろうか。
長く続く司令部の灰色の廊下を、目立つ私服姿でずんずんと歩きながら、エドは秘密の呪文を唱えるように、小さな声で呟いてみた。

さよなら
さよなら
さようなら。

「さよなら、母さん」

雨が降り出す前に、早くあそこへ帰ろう。


(2004.09.28)


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