カンバセーション…


誰もが知っていることだが、下士官の給料というのは薄給だ。
けれど服も下着も食料も、基本がすべて官給品で賄える身分。
その上軍施設敷地内にある宿舎の粗末な部屋に、プライベートさえも「門限」という名の鎖で繋がれているのだから、
その事実に対して苦痛を訴える者は意外なほど少なかった。
フュリー曹長もそんな大勢の中のひとりだった。
いや、その中でも際立った存在だと言っても良いだろう。
酒も自ら進んで呑むこともなく、身を飾ることに頓着するでもなく、多くの若い男性を悩ます下半身の悩み事にも淡白だ。
たまに強引な輩が仕切る賭けなぞに、否応無しで参加させられ小銭を巻き上げられることもあるけれど、
それだって笑って済ませられる範囲の出費でしかない。

だが果たして自分の愉しみが、一体どこにあると言うのだろう?
手先が器用で、機械の仕組みに興味の尽きない自分は結構得難い人材らしく、電話の調子が悪い、ラジオが壊れた!
などの叫び声があがる度に、右へ左へひっぱりだこの状態で、彼らの要求に応える毎に感謝の声を聞くのは確かに自尊心がくすぐられもする。
この国を彩る錬金術師の奇蹟には遠く及ばないまでも、自らの手でこつこつと創り出す、素朴な音色のオルゴールや機械仕掛けの猫の玩具などの
出来映えに、満足感を覚えることもあるけれど、それだって殆どが通りすがりの子供たちの笑顔と引換えに消えていくのだ。

たったひとりだけで味わえる、愉悦の時間。
自分にだってそれを欲しがる自由と権利があるはずだと。
フュリー曹長はせっせせっせと秘密の道具の制作に精を出した。
それがとんだパンドラの箱になるとは、予想もしないままに。

+++ +++ +++

「どうしたのかしら、フュリー曹長…准尉、彼は最初からあの調子なの?」

バカがつくほど長い会議から解放されて司令室に戻ってきたホークアイ中尉は、いつになく浮付いた表情のフュリーを目にして、
近くに居たファルマン准尉に耳打ちをした。

「ええ、本日の勤務に就いてからの彼の動向はかなり面妖なものでした」
「そう。何か悩み事でもあるのかしら」

自分が噂の種になっているとは思いもよらぬフュリーは、ブツブツと小さな声で独り言を繰り返している。
ハッキリ言ってその様子はムチャクチャ不気味だ。

「…触らぬ神に祟りなしね。そっとしておいてあげましょう」
「そうですね」

首を竦めながらホークアイ中尉は気付けのコーヒーを求めて給湯室へ、ファルマン准尉は作り終えた書類をファイリングする為に資料室へと
各自散って行く。
取り残されたフュリーは、彼らが司令室から出て行ったことにも気づくことなく、相変わらず呪文のような独り言を垂れ流していた。

「マスタング大佐は問題外だ」

歳若き佐官の頂点、そして国家錬金術師の中でも指折りの焔の錬金術師・ロイ・マスタングに、これ≠試すことなど、
ほんの出来心とは言え許される訳はない。
下手をすれば、首が飛ぶどころの騒ぎでは済まないはずだ。

「ホークアイ中尉も論外か」

有能と言うだけでなく怜悧な美貌まで併せ持つ彼女が、下士官の間で羨望と憧れと恐れがない交ぜになったヒソヒソ声で
『東方司令部の陰のトップ』だの、『東部の氷の女王』などと渾名されていることは、噂話に疎いフュリーでさえも知っている。

「ブレダ少尉はどうだろう?」

漢くさい外見からは想像できないが、ブレダは結構あれで執念ぶかい性格だ。
運悪くばれてしまったら、グチグチネチネチと嫌味の砲火を浴び続けることになるだろう。

「ファルマン准尉は…」

スラスラと軍歴簿を読み上げるかのようにそらんじるファルマンに、危険分子になり得るかも知れない人物と記憶されるような事はしない方が得策だ。

「そうなると、やはりあの人しか残らない…」

何度もふるいにかけたにも関わらず、その都度ザルの中にたった一人居座り続ける男が。

「ふぁ〜、今日は良く働いた。大佐が会議室に詰めてる日は仕事がはかどるぜ」

長身をさらに伸び上らせながら、司令室に戻って来たのだった。


「お疲れさまです、ハボック少尉」
「おう、フュリーか。うちの上司は人使いが荒いからなー、もー大変だぜ」

トレードマークの煙草を唇の端に咥えながら、会議が終わったにも関わらず姿を見せない上司に向かって文句を言うハボックの表情は、
それでも穏やかで満ち足りたものだ。

「夜勤のおまえ等にはわりぃけど、今日は俺デートがあるから定時上がりな」
「デートですか…」

なるほど、それがキツイ仕事を終えた後でも溌剌としていられる理由なのか。
愛しい恋人との逢瀬を思い、いつも以上に緩くなっているハボックの表情から、フュリーは湧き上がる罪悪感を押し殺す為に目を逸らした。

「何デレデレした顔してやがんだ、みっともねぇ。そんなんじゃ彼女に振られて泣きを見るのが落ちだぜ!」

いつの間にかふたりの傍に寄って来ていたブレダが、憎まれ口をハボックに叩き付ける。

「てめぇと一緒にすんじゃねーよ。おめーら寂しいひとりモンはせいぜい夜勤に励んで、国家の為に働いてくれ」
「けっ!てめぇなんぞより俺のほうがよっぽどいい男じゃねぇかよ、なぁフュリー?」
「あ、ボク急ぎの仕事があったんだ…」
「逃げるな、おい!」

男ばかりのドラ声を司令室に飛びかわしているうちに、シフト勤務の交代時間がやってきた。

「おまえらの相手してやる時間は終わったぜ。俺は帰らせてもらうからな」
「ふざけんなよ、俺たちがてめぇの相手してやってたんじゃねーか」
「お疲れさまでした、ハボック少尉…頑張って下さいね」
「おうよ!おまえら夜勤中に寝こけるんじゃねーぞ」

くるりと踵を返し、軽やかに響く靴音も高く司令室から退出しようとしたハボックを。

「少尉、ちょっとまって下さい…ゴミが」

ただでさえ高めの声を更に上ずらせながら、フュリーが呼び止める。

「ゴミ?」
「ええ、背中に糸屑が…」

ハボックの背後に歩み寄り、フュリーはゆっくりと広い背中に手を伸ばして糸屑を取る…素振りをした。

+++ +++ +++

この日は東方司令部にしては珍しく静かな夜だった。
数件届いた愛すべき市民たち同士の小競り合いの報告は、すべて憲兵任せにした後の緩やかに流れる時間をブレダは持て余していた。

「なあ、フュリーよ、いいモン見せてやろうか?」
「…は…はい!?」

いきなり声をかけられて、フュリーは焦りをすべて隠すことが出来なくて、不自然なほど大きな声で返事をしてしまった。

「なんだよ、でけぇ声出しやがって…ビックリするじゃねぇか」

自分の呼びかけにあまりに激烈な反応を示したフュリーを、ブレダは気持ちの悪いモノを見る目つきでマジマジと見つめた。

「おい、どうしたんだフュリー?おまえ今日はなんだか様子がおかしいじゃねぇか」
「い、いえ、そんなことありません!」
「つか、具合が悪いんじゃねーのか?顔、赤いぜ」
「いえ、大丈夫です、なんでもありませんっ!!」

ブンブンと首を振りながらブレダの心配を否定したフュリーだったが、誰が見ても、どこから見ても、怪しさ満点の素振りにしか見えないのだ。
それでも一生懸命にいつもの自分だと言い張るフュリーに、それ以上のツッコミをすることを諦め、
ブレダは手にしたポートレートをフュリーの前に掲げて見せた。

「いい女だろ、キャサリンちゃん。俺のチーズケーキだ…ん〜っ」
「え、ええ、ええ、そーですねっ!」

半裸の金髪美人が映ったポートレートにキスを贈る、すこぶる侘びしい姿のブレダに再び引き攣った笑顔を見せたフュリーは、
実は既に半分以上心ここにあらずな状態だったのだ。

―――――神様、ボクが馬鹿でした。
こんなことになるって判ってたなら、ハボック少尉をこれ≠フ実験台に選んだりはしなかったのに!

固く手と手を組んで、フュリーは届かぬ懺悔を心の中で繰り返す。
今、自分の聴覚が拾いあげているものは、ブレダの手の中にあるポートレートよりも刺激的で魅惑的な……。

―――――本当にデートだっていうのなら、服を着替えて行くだろうと思ってたんだ!

本当はちょっぴり期待はしていたけれど、神に懺悔する手前あくまでそれは無かったことにして、
フュリーは途切れることなく脳に伝達されていくものを聞き続ける、ただひたすらに。

―――――ああ…ボクは…ボクは。こんなトップシークレットを収集することを期待していた訳じゃなかったんだ!

胸を掻き毟りたくなるような悔恨がフュリーを襲う。
それなのに自分がハボックに仕掛けた罠を取り除くことも出来ないでいるのだ。

―――――ボクはなんて浅ましいんだろう…こんなこと、中尉にも相談できない!

目聡いブレダに見つからぬように、固く握り締めた手の中に隠した小さな自分の作品を冷たい汗で濡らしながら、
フュリーは熱に浮かされた病人のように震え続けていた。
段々と前屈みになっていく己の身体の変化を恨みながら。

+++ +++ +++

「はよーっす。よっブレダ、夜勤お疲れさん」
「よー、大将。昨日の夜はうまく行ったのかよ?」
「もーバッチリよ」

身体から毒気をすべて抜ききったと言わんばかりの爽やかな笑顔を零しながら司令部に現われた男を、フュリーは瀕死の状態ながら
恨みの篭もった目つきで睨みつけていた。

―――――確かにあなたはスッキリしたでしょう!

自分が撒いた種とは言え、小さな身体に抱えきれない大きな秘密を知ってしまったフュリーは。

「おはよう。昨夜は何も異常はなかったのかね?」

ハボックに遅れること数分にして司令室に現われた、どこか疲れを引き摺ったような儚げな風情を見せる黒い髪の上司の姿を目にして、
完全に撃沈してしまったのだった。



「カンバセーション<盗聴>」 スタンリー・キューブリック監督・米国

(2004.1.27 初出) 


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