CANDY MAN(61依存症)
彼のデスクの上には、常時大量の書類が積み上げられていた。
それは中央に籍を置くようになっても変わることはなく、あのホークアイ中尉でさえ移動後の雑事に追われていることも相俟って、
その見るからに怠惰な状態に匙を投げていた。
「ハボック、そんな湿気た顔をするな。真面目に仕事に取り掛かろうとしているのに、おまえのその顔を見たら、やる気を無くしてしまうではないか」
「は…?そりゃ酷い言いがかりっすね」
極限まで積み重ねられたファイルや紙の束の向こうから聞こえてきた声。
それを聞いた途端に、ハボックの眉間のしわが一層に深まっていく。
――――ヤベェ…。
自分が一体どういう表情をしていたか、それを想像することはそう難しいことでは無かった。
さぞ凶悪な顔つきをしているのだろう。
いつもなら気安く声をかけてくる事務職の女の子も、自分の顔を見た途端に、赤い唇を薄く開けたまま、それでも結局は声をかけることなくすれ違い、
足早に立ち去って行った。
「俺がどんな顔をしてようが、大佐の職務には差し支えないでしょ。部下を構っている暇があったら、サインのひとつでも書類に書き込んだらどうですか」
「…言ってくれるじゃないか、少尉」
本来なら上司にとるべき態度ではないことは百も承知だ。
それを重々判っていながら止められず、唇から零れ落ちていく細い棘。
この黒い髪と瞳が印象的な歳若い大佐でなければ、即刻ハボックは懲罰房に放り込まれていただろう。
だが。
「口寂しいのは判るが、その態度はいただけないな。それこそ煙草の一本や二本で気分を左右されるような部下では、私の背は任せられんな」
高く積まれた書類のせいで、その表情のすべてを伺うことはできない。
けれどその声色には、ハボックの小さな不幸を嘲笑うごとく、微かな毒を含んだ笑みが間違いなく混じっていた。
「アンタ…ただ単に、面白がってんでしょ?」
いつもは何事に対しても飄々とした風情を崩さない男の、やり場のない苛立ちと情けなさを。
「当たり前だろう。中央に来てからピリピリとした刺激には事欠かなくなったが、その反面和む時間が格段に減った。
今のおまえは私にとっての小さな清涼剤と言ったところだな」
ははは、と高らかに笑う声はけれど皮肉に満ちた先ほどのものとは異なり、純粋な楽しみだけに彩られている。
それはまるで美味い料理をたらふく食べたあとの、満足した女の子の無邪気な笑いに匹敵するような、抗いきれない魅力に満ちたものだったが、
残念なことに今のハボックはその音色を愉しむ余裕を持ち合わせてはいなかった。
「清涼剤って…こんな萎れた今の俺に対しての嫌味ですか」
黄色い頭をガクリと項垂れさせた長身の男は、文字通りしおれかけの向日葵のように覇気がなく、
その姿を見せ付けられてさすがに可愛そうになったのか、それともからかい甲斐が無いと判断したのか、
書類の山の中に立て篭もっていた上司は立ち上がりざまに、デスクの端っこからはみ出して今にも落ちそうになっている
プラスチック製の小さなケースを手に取った。
東方司令部時代から彼のデスクの上にどれほどの嵐が吹き荒れることがあろうとも、ちょこんと片隅に置かれ続けてきた半透明の小物入れは、
引き続きこの中央でも彼のデスクに居座り続け、休むことをしない彼の僅かな栄養源となっていた。
「別に全日禁煙を言い渡された訳じゃあるまい。身体の為だと思えば煙草の量も少しは減らせるだろう?」
蓋を開けたケースの中には、色さまざまな包み紙にくるまれたキャンディーの山。
片方の手にそのキャンディーボックスを持ち、片方の手でおいでおいでをする上司に手繰り寄せられるように、ハボックはふらりと立ち上がる。
「言っておくが、おまえの身体はおまえのものであって、おまえだけのものでは無い。ニコチンで肺をボロボロにして私より先に逝ってしまわれては困る」
甘党の彼のために、ホークアイが補充を怠ることのないキャンディーは、今日もギッシリとケースいっぱいに詰め込まれてひしめき合っている。
いつもなら、それを見るだけで腹一杯になったような錯覚に陥ってしまうのだが、今は。
「…なんか今の俺って、大佐の奥さんになったような気がするんですが」
いつもならニコチンで塞がれている場所が別の何かに侵されて、より以上の大いなる錯覚を見せつけられたハボックは眩暈を起こしそうになった。
「馬鹿も休め休めに言え。なんで私が自分より筋骨隆々とした奥方をもらわねばならんのだ!」
とても、とても、幸せすぎて。
「えー、見た目は兎も角、俺っていい嫁さんになると思うんですけどね」
そう言いながらハボックは、適当に摘んだキャンディーの包みを解いて、煙草の味の消えかけた口に甘い欠片を放り込んだ。
(WEB拍手お礼SS)
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