麦  秋


「どうして今日に限って、おまえが護衛隊長なんだろうな・・」
「仕方ないでしょ、中尉だって忙しい身なんですから」

セントラルからイーストシティまでを結ぶ汽車の、狭いコンパートメントの中。
東方司令部時代に世話になった老将軍に呼びつけられたマスタング大佐は、たいそうご機嫌斜めだった。

「ただでさえ汽車の個室は狭いんだ。おまえみたいな大きな男と一緒だと息苦しくてかなわん」

目の前に座る直情的な男の青い劣情を誘わぬように注意して、ロイはほんの少しだけ軍服の襟元を寛げた。
どの季節もどこか暗鬱としたセントラルと違い、東部の夏の暑さははっきりとその季節特有の熱気を伴っている。

「へぇ、個室に俺とふたりきりだと息苦しくなるんすか、アンタ」

この数年でますます打たれ強くなった青年士官は、言いがかりをつける上司の言葉尻を捕らえてにこやかに切り返す。

「馬鹿者!よくそんな都合のいいように解釈できるな」
「うわ、デカイ声出さないでくださいよ。命がけで大佐の身を護っている部下に対して、馬鹿者はないっしょ」
「おまえがいらん事を言うからだ。それより、せっかく窓を開けているのにカーテンを閉めたままじゃ、ロクに風も入ってこないじゃないか」

下側半分を開け放たれた窓には、遮光のためというよりは外部の視線から目立ちすぎる若い佐官を隔離するのが目的の、
暗い色のカーテンが引かれていた。
コンパートメントの扉は分厚くて重い、暗褐色の樫材。
そしてその前では、ハボック隊の下士官二名が歩兵銃を携えて警備に立っている。
それは軍の要人にとってはごく当然の光景だった。
だが才色兼備の副官が、常に傍に居る状態に慣れてしまった身には、それすらも不満の種になってしまうのだろう。

「そりゃあ旅のお供は中尉のような美人のほうがいいでしょうが、俺だって捨てたもんじゃないっすよ?」
「ふん・・例えばどんな風にだ?」
「まずは重いものだって難なく持ち運びできますし、背が高いってことはそれだけ視界が開けるってことで、不審な奴を見つけるのに
もってこいだと思うんですが」
「生憎だな、少尉。私はもとより重いものなど持たないし、三流テロリストも一瞬で片付けられる」
「…はぁ、確かに」

やはり最後には、やりこめられて。
さすがに少しむくれ顔になったハボックに、漸く溜飲が下がったというようにロイ・マスタングは晴れやかな笑顔を見せた。

「まぁ、そうしょげるな。そうだ…おまえにやって欲しいことがあるんだが」
「え、なんすか?」

艶やかな黒い髪の大佐の言葉に、薄い色の睫毛が上がる。
そうしてボスの命令を一言も聞き漏らすまいとする忠実な部下は、健気に真摯に身を乗り出してきた。
満ち足りた笑みを浮かべたロイの唇が、近づいてきたハボックの桜色の耳たぶに、甘噛みをするように沿わされる。
ほんの少しだけ耳にかかった麦わら色の髪の毛がくすぐったくて、ロイは小さく笑い声を立てた。

「もう、早く言ってくださいよ」
「焦るな。大したことじゃないんだ・・あのな―――――」
「はぁ?んなこと自分でやってくださいよ!」

悲痛な声を上げながら、それでもその語尾が消える前に硬い椅子から勢いよく立ち上がったハボックは、
スピードを上げだした汽車に押し流されてくる風が激しく揺らすカーテンを、素早くひき開けた。

「上官の命令は絶対だ。おまえは一言多すぎる」

光とともにコンパートメントに入り込む風の量が変わる。
大量に吹き込むそれに前髪を好き勝手に嬲らせているロイは、隙を見せればすぐに湧き上がってくる笑いをかみ殺しながら、
未だ立ったままの部下に短く釘をさしてすぐに、完璧に開かれた車窓に視線を向けた。

「おい、絶景だな…これは」

途端に上がる感嘆の声に、不思議そうなハボックの声が応える。

「大佐、この路線は嫌というほど乗っているじゃないですか。この景色を見るの、もしかして初めてなんですか?」
「ああ。しっかり者で注意深い副官は、簡単に私の我侭を飲んではくれないからな」
「…すんません。うっかり者で」
「いいさ。その迂闊さのお陰でこの風景を見ることが出来た」

それは褒めているのか、いないのか。
きっと後者の方が勝っているのだろうと、ひとつため息をついたハボックには見向きもせずに、
魅せられた表情でロイは一面に広がる風景を貪ることに夢中になっている。
その黒い瞳に映るのは、視界の全てを覆いつくす眩い黄金の穂波。
それは命の輝きを痛いほどに放ちながら風の中に晒されている。
風の方向に逆らうことなく穂先を流しながら、それでも大地に強く強くしがみついて、実った麦穂をこぼさぬように守っていた。
目を細め、言葉も無く黄金の波を見つめるだけが精一杯の、愛しい風景。

「圧巻っすよね。俺もこの季節のここの風景は別格で大好きなんですよ」
「その別格で大好きな景色を、君は私に黙ってひとりで堪能していたのか?」
「えっ?いや、そーゆーワケじゃないですってば!」

再び身を乗り出したハボックの髪が風に靡いて、見開いた空色の瞳を余計に強調した。

――――ああ、そうか。

まだ途切れる気配のない広大な麦浪が、目の前の男が持つ色彩と一瞬にして溶け合う。

「似てるな」
「え、なんですか・・大佐?」

キョトンと返された疑問に答えを与えるつもりのないロイは、初めて目にする風渡る黄金の穂の海の中に、沈黙を守りながら視線を漂わせた。



ここに在る色彩は、私の熱のみなもと。


「麦秋」 小津安二郎監督・日本


(2004.06.20)


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